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この映画「子連れ狼 死に風に向う乳母車」は、「子連れ狼」シリーズの第3弾で、小池一夫脚本、三隅研二監督、若山富三郎主演という布陣で、当時、3カ月に1本の製作というハイペースでのシリーズとなっていた。 もともと、全部で6作作られた、この「子連れ狼」シリーズは、時代劇というよりもアクション映画と呼びたいほど、豪快な斬り合いの連続で、繰り返し何度観ても6本とも実に面白い。 冒頭からラストまで、全編を通して斬り合い、また、斬り合い。血が噴き出る。首が飛ぶ。頭が真っ二つに裂ける。だが、ただ残酷なのではなく、殺陣は工夫に工夫が凝らしてあり、一瞬たりとも観ている者を飽きさせない。 若山富三郎扮する拝一刀が刀で斬りつける。すると、敵は素手で白刃をはさみこむ。拝一刀は、刀を動かせなくなる。そこに、もう一人の敵が突如あらわれ、斬りつけてくる。拝一刀、危うし!! そうした、それまでの時代劇には見られなかった、奇抜で斬新な殺陣が随所に見られるのだ。 とにかく、このシリーズは、主人公のキャラクターの設定が、実にいい。拝一刀は、もともとは公儀介錯人。つまり、切腹の際の首斬り役人だ。徳川幕府に仕えているが、その仕事は、人に嫌われるダーティなものだ。しかし、仕事の性格上、剣の腕だけは滅法強い。そして、死を見続けてきたから、度胸も座っている。 これが、幕府の公儀刺客人で、幕府のために働く殺し屋集団の柳生一族に、妻を殺された事から、一匹狼のアウトローになり、柳生一族と死闘を演じ続ける事になる。しかも、柳生を裏で操る幕府権力とも敵対する。たったひとりの反乱なのだ。 時代劇は、こういう巨大な権力にたてつくアウトサイダーを主人公にした時が、一番面白い。観る者に爽快なカタルシスを味合わせてくれるのだ。「座頭市」シリーズが面白かったのもそのためだし、宮本武蔵が面白いのも武蔵が、吉岡一門という権力集団と一人で闘うからなのだ。 こうして、アウトサイダーとなった拝一刀は、子供の大五郎を連れて裏街道の旅に出る。そして、殺しを引き受ける刺客になる。金のために人を殺す。ダーティなヒーローなのだ。ひとたび、権力にたてつくアウトローになったからには、堕ちるところまで堕ちてやる。それが"冥府魔道"の生き方なのだ。 この拝一刀の魅力は、このダーティぶりにあり、悪しき現代に、男の誇りを守り抜こうとしたら、ヒーローは汚れざるを得ないという、"シニカルな姿勢"が、私の心を捉えて離さないのだ。 拝一刀は、武士であって武士ではない。武士の美学を守るために、敢えて、武士の美学を捨てるのだ。 この第3弾の「子連れ狼 死に風に向う乳母車」は、原作の劇画の18話「あんにゃとあねま」と46話「渡り徒士」のエピソードをメインに描かれていて、前半で女郎を助けた拝一刀が、忘八者の女元締め・酉蔵に水責めと「ぶりぶり」という折檻を受けるシーンがある。 「忘八者」は、裏稼業を仕切る集団で「忘八武士道」など、小池一夫時代劇の随所に登場する、作者お気に入りの設定だ。酉蔵役の浜木綿子は、萬屋錦之助主演のテレビシリーズでも、同じ役を演じている。 歴代の俳優の中で最も殺陣がうまいと言われる、若山富三郎の殺陣は、1作ごとに過激かつ過剰になっていくが、この作品では、彼が主演した「賞金稼ぎ」シリーズを思わせる派手な銃撃戦で、まるでマカロニ・ウエスタンを彷彿とさせるような、死屍累々の大殺戮が展開していく事になるのだ。 また、三隅研二監督の演出の衝撃度は、加藤剛演じる渡り徒士とのラストの対決に顕著に表われていて、拝一刀に首をはねられ絶命するまでの描写が、加藤剛の渡り徒士の生首の主観映像で撮影されるという、前例のない過激な表現方法が取られているところも見ものだ。 荒唐無稽でナンセンスと言えばそれまでだが、それをそう感じさせないのは、このシリーズの根底に、権力に対する荒々しい反抗精神があるからなのだ。
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