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結局のところ。本作で言う「エヴァンゲリヲン」というものは、やり直しの効かない、あの頃、あの時代の終わらないモラトリアムだったのだと思う。 何かを語れるほど饒舌でもないジレンマ、と同じくらい作者が物語を通じて語るものを持っていなかった時代の産物。90年代の僕たちは(まさに同時代)どうやら生きることは戦場に放り出されることだとはわかっていても、何と戦っているのかもわからない。ましてや「戦え」と言われて武器を与えられてもどうやったらいいかわからないまま言われるがまま、だったように思う。 それが碇シンジであり、エヴァンゲリヲンだったりもする。しかし、それらの物語すら、当時から、そして今も語れないし、語るべきものもそもそもない。ましてやリブートしたところでやはり、それは特段良くなるものでもないのだと思う。 それがいかに続編となる「破」以降オリジナルストーリーになるための布石としてテレビシリーズの流れをなぞる物だとしても。 それらが上手く機能しないからこそ、エヴァンゲリヲンなのだ、と思う。 結局のところ、何をどう作り直しても。 この90年代後半の空気だけを吸い取って、それが一つの時代になってしまった以上。 いち監督が、語れなかった物語を、語り直すことなんてできないのだなぁ、とか思ったりする。 思い返したのは、当時の熱狂はとてもネガティブな共感だったということ。だからこそそのネガティブな吐露こそが時代を経て劣化した点。 軍事的な会話には非常に「東宝8.15シリーズ」の影響や市川崑、岡本喜八などのカット割や画面構成は感じられる、その辺りは本放映から20数年が経過してわかったこと。 そして、それらがあまり気持ち良くは繋がっていないし、やり直しもできないということ。 だからこそ、庵野秀明にはこの「エヴァンゲリヲン」ではなく、「シン・ゴジラ」が必要だったのではないかと思う。
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