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私がこの原作に出会ったとき、私はまだ小学生であった。 その時、私は何も知らなかった。この作品が描くディストピアの廃れた美しさと恐ろしさも、森の民たちによる警鐘も、そして二人の少年の―今ならばBがLだと様々な色眼鏡で見られかねない、だからこそ儚くも美しい関係性も、はっきりとした実態を伴って分かってはいなかった。 だからこそ、その作品の意味が分かったとき、私は慄然した。身震いした。私はなんと、おそろしい作品を読んでしまったのかと―なんという出会いをしてしまったのかと、ただ、愕然とした。 そんな時にこの作品は、アニメ化される運びとなったのである。 できるのか、と。真っ先に思ったのはそれだった。ディストピア的作品は山のようにあるが、YAというジャンルの中で、ここまでも管理された社会の狂気を描く作品は少ない。それに加えて、主人公二人のあの関係性である。原作が刊行されていたのがもう少し後ならば、間違いなく「公式が最大手」とされていた関係性である。それをできるのか、という疑問があった。 しかし、完成したアニメ版はその予想を裏切った。 確かに、原作からの改編点は多々ある。特に1クールという制約は大きく、後半戦の描写がかなりの駆け足になってしまったのは大きなマイナスポイントだ。原作のストーリーテリングが手堅く完成されたものだったからこそ、どれだけ2クールでやればよかったかと、今でも見返す度に思うことがある。 しかし、原作のファンとしてはあの世界を、あさのあつこという名前でキラキラの青春物を期待して見たあらゆるファンの、予想を大幅に裏切るような世界を、映像で見れたことは何よりも大きいのである。残酷で、美しい作品世界を、このアニメが描ききろうとしたことはいやでもわかる。熱意が、伝わってきたのである。 そして二人の少年が、それを支える人々が、その中で息をしている。それだけで、私の中でこのアニメは大きいのだ。私を初めて「震わせた」アニメとして、この作品は、幾年経っても私の中では不動の立場にある。 確かにBLアニメだろう、それは確かだ。 後半が駆け足すぎて、超展開のようにも思えるだろう。 紫苑はネズミのセコムにしか見えないのだろう、それも確かだ。 それでも、このアニメにはこのアニメの良さがある。そして私は、このアニメに感謝をしている。幼くして私を虜にした作品に、熱意をもって取り組んでくれたことに最大限の感謝を注いでいる。 「再会を、必ず。」 この台詞を聞けただけで、私は、それだけで幸せなのである。
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