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大スペクタクルではあった。 当時では斬新だった合成だったり、VFXを多用して、映像的にも面白かったのだろう。でも、今見るとチープに見えるのは否めない。背景が画だったり、明らかにセットで撮影してるのがわかる。あれだけのセットを作り込む技術と予算は恐れ入るが、実際に砂漠に行って撮影出来なかったのだろうか。切り返すとセットだったり、砂漠だったり、やや興醒め。デジタルリマスターになって、粗が目立つようになったのか? 伝記映画として面白かった。インターミッションが入る前までは非常に楽しめた。この当時の人たちは、現代の人よりも純粋だったと思う。その中でもモーセはかなり純粋で一本気で、情熱的な人だったんだと思う。まぁ、王家で育てられた彼は誇りもあり、気高いし、育ちが良かったからこそのあの性格なんだろう。 次期王として認められていたが、奴隷の子だと知って、奴隷になり、でも、ネフレテリを忘れられず、王になることも諦めていなかった。そのまま静かにしとけばいいのに持ち前の正義感で奴隷を助け、総督を殺してしまう。しかも、奴隷たちの救世主の可能性もあるということで、追放されて、死にかける。 モーセの実母もやけに情熱的だ。妃にモーセが実子であることを隠すように言われ、さらに、エジプトから出て行くように懇願される。そのまま切り殺して、真実を隠ぺいしてもおかしくないのに、このお妃様かなり、お人が良い。実母は実子であることを口では隠せても、目は嘘をつけないと情熱的にはね除け、モーセはそのまま奴隷へ。愛しい息子が王子から奴隷になることよりも息子と暮らしたいということを優先するってどうなの? わからないではないが、母親ならば、息子の将来を案じぐっとこらえてほしいところだ。 お妃様はモーセに、王になり、奴隷を解放したら良いと、至極全うな提案をするも彼は情熱的にはね除ける。どうやら、情熱的なのは母ゆずりらしい。ここでモーセが王になったら、こんなに人が死なずにすんだのではないかと思うのは私だけだろうか。 しかし、その一本気さは潔く、格好良くも見える。画して、モーセは持ち前の正義感と、王子時代に築いたリーダーシップと奴隷たちからの篤い信頼、利口な頭脳を用いて、奴隷たちの英雄に、指導者になる。のかと思いきや、預言者になる。 この辺からファンタジーになってしまう。この結末は事前に知っていたけど、やはり不満だ。前編の伝記がよく出来ていたので、落差についていけない。モーセは前編では、神なんて何もしてくれやしない、自分で何とかするしかないみたいなスタンスだった。それが格好良かったのに、山で神に出会った途端に、奴隷の指導者から神の使者に変わってしまった。前編のモーセの良かった所が、全て神の御業の魔法で書き消されてしまった。 奴隷の血を引く王子が、奴隷を率いて悪辣な環境から解放せしめるって、それだけ聞くと格好いいのになぁ。とんでもファンタジーが入ると急にチープになるよね。 神様も人殺しすぎ。考えを改めれば救ってくれるのかもしれないけど、それって改宗しない異教徒は殺されても文句ないだろってことだ。神様も人間の世界に、そんなに積極的に介入したらダメじゃね? 教徒たちがいざってときにパワーをねだるようになるじゃん。それで教徒が堕落したり、傲って戦争とか始めたら、教徒も殺すわけでしょ。おそろしやおそろしや。 宗教映画にツッコミは厳禁だと思うが、ついにむきになってしまった。
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