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dreamer

dreamer

4 years ago

3.0


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Planet of the Apes

Movies ・ 2001

Avg 3.0

この映画「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の監督ティム・バートンは、この映画の製作意図として、「オリジナルからインスパイアされたのは、猿に支配される人間という逆転の構図だけ。本作は続編ともリメイクとも違う、リ・イマジネーションである。」と語っていました。 SF映画の歴史の中でも、最も独創的且つ刺激的なコンセプトに、現在のアメリカ映画界屈指の豊かな想像力とビジュアル感覚を有する映像作家・ティム・バートン。 この組み合わせで、心躍らない訳がない。 「シザーハンズ」「バットマン」「スリーピー・ホロウ」と、常に"異形の者への偏愛"を見せてきたバートン監督が、"猿"という題材に対して、どのようなアプローチをするのか、大いに期待しながら観た記憶があります。 しかしながら、結論から言えば、この作品の基本的なコンセプトである、"逆転の構図"は、そっくりそのままバートン映画の構図をも逆転させてしまっているのだ。 これまで、バートン監督が生み出してきた異形の者たちは、マイノリティであるがゆえの悲哀というものを内包していたと思う。ところが、この作品の異形の者=猿は、最初から圧倒的多数で人間を支配している。 そのため、そこに悲哀というのは生まれないのです。そうであるならば、ここでマイノリティに該当する人間に、悲哀を見出せばいいのですが、困ったことにバートン監督の興味は猿にばかり注がれているのだ。 その結果、いつものバートン・タッチの魅力が大きくそがれてしまったのだと思う。 猿の惑星に不時着した宇宙飛行士のレオ(マーク・ウォールバーグ)は、奴隷として猿に囚われる。 人権擁護を訴える猿の女性アリ(ヘレナ・ボナム・カーター)に導かれ、ようやく脱出に成功。 猿の軍団を率いる将軍アリ(ティム・ロス)が追跡し、これを機に人間の一掃を実行に移そうとする。 この中盤の脱出行は、かつての西部劇を彷彿とさせるような展開だ。 ただ、バートン監督の演出は今一冴えず、マーク・ウォールバーグのどこか間の抜けた演技もあって、活劇的なワクワクするような興奮はそれほどない。 むしろ注目すべきは、この脱出の道中でレオとアリの間に芽生える恋心とおぼしき感情の交流だ。支配する側の猿が、支配される側の人間の才智に触れ、人間に近づこうとする勇気。 だが、地球に還ることしか頭にないレオは、そのアリの気持ちに応えることが出来ない。 実は、ここに悲哀が生まれるような気がする。この線をもっと追求すれば、この作品はぐっと印象度が増したのではないかと思う。 猿の惑星に生きる人間の美女デイナ(エステラ・ウォーレン)の存在も、物語に大きく絡むのでもなく、影が薄いままなのだ。 このように、観る前の期待が大きかった分、欠点ばかりが目についてしまったが、猿の特殊メイク、エイプ・シティという猿の集落などに見られるバートン監督のデザイン・センスは素晴らしいものがあると思う。 バートン監督に言わせると、この作品での"猿"は、「人間20%、猿80%」の猿人ということらしい。 しかし、割合がどうであれ、猿人は猿人と考えたくなるが、こうした明確なビジョンを掲げることで、猿が進化する過程で形成するであろう"文明の姿"、猿に扮する役者に求める演技など、バートン監督の具体的なイメージが定まっていったのだと思う。 希代の映像作家ティム・バートンの優れたセンスの一端を垣間見るようだ。 それにしても、ラスト近くで、宇宙船で教育されていた猿のポッドが、惑星に着陸した頃から、おかしなムードが漂ってくる。 本人の全く関知しないところで"救世主"となってしまった素の猿の登場。 ここに至るまでのスリリングな展開からすると、何かとても奇怪な感じがしてしまう。ここは笑っていいのだろうか? そして、迎えるラスト--------。 猿一色と化し、豹変した地球の姿。何が起こったんだ? これはもう笑うしかない。そもそももこれは本当に地球なのか? 失笑とハテナマークに包まれたまま、この映画は終わる--------。 映画を観終えた後、やっと気づいた。 バートン監督は実は、かつての偉大なるオリジナル作品を茶化しているのだと。 バートン監督特有のイマジネーションと遊び心で。 完璧な映像世界の向こうで"イタズラな笑み"を浮かべている、バートン監督の姿が目に浮かんでくるようだ。