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グレース・ケーリー(1929~1982) ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。 父は元スポーツ選手で後に建設業の大富豪、母はドイツ人モデル。 高校卒業後ニューヨークで演技を学び、舞台に出演。 「真昼の決闘」(52)のヒロインに抜擢されスターに。 「喝采」(54)で本命「スター誕生」のジュディ・ガーランドを破ってアカデミー・主演女優賞受賞。この時26歳の彼女は涙ながらに、前年受賞(「第17捕虜収容所」)のウィリアム・ホールデンからオスカー像を受け取った。 普段の立ち振舞いからの“クール・ビューテー”の尊称は、その語源の元祖的存在ではなかったか。 カンヌ映画祭で知り合ったモナコ公国のレーニエ大公と56年に結婚し惜しまれつつも女優引退。王妃として3児を産む。 映画はその彼女をアルフレッド・ヒッチコック監督が、61年12月に訪ねる所から始まる。 「ダイヤルMを廻せ」「裏窓」(54)などのヒッチコック作品で好演した彼女に、「マーニー」(64)の出演依頼の打診だ。当時意欲をみせ活動中の小児病院改装資金の資金調達に、赤十字機構との関係がうまくいってなかったし。皇室の中の取り決めの息苦しさからも何とか抜け出したいと、映画復帰に前向きの意向であった。 ただフランス・ドゴール政権との軋轢で公務に多忙の夫・大公レーニエとも夫婦仲がギクシャクしていたので、ここは愛する夫や子供のために女優復帰の道はキッパリと、諦める声明をマスコミやファンの面前で上げたのである。 モナコという観光業と歓楽業(カジノ)で国益を賄っていた事情と、税金を企業から徴収しない仕組みは、普通の常識からは大分ズレているが、それだけに世界的注目度の高いグレース王妃の存在は大きかった。 彼女の慈善事業への活動と、そのお飾り的位置への反発、そして愛する子供を残しての悲劇的交通事故死の末路という共通項から、あのイギリスのダイアナ妃を思い出してしまうのは仕方ない。この作品の中で心の不安のまま猛スピードをあげて車の運転、後の事故死を予見させるような場面がある。 異国の政治体制の中、心の拠り所になっていたタッカー神父の存在は、やや年の離れていた夫への気持ちも含めて、影響力の強かった父親への、年長者に対する彼女の絶対的信頼感みたいなものが感じられる。 だから映画的には、その辺のモナコ大公との馴れ初めの回想シーンなども欲しかった。 後継者を巡っての義姉夫婦のフランス政府との密通疑惑に対する采配なども興味深い。 後に成人した息子のアルベール大公が、セリーヌ・ディオンなどを招いての音楽祭フィルムで、その穏やかな風貌に亡き母グレース・ケリーの面影を偲んだ記憶がある。 全編を通じての見所は、ニコール・キッドマンの美貌(度重なる整形美容疑惑)を更に魅力的にした、衣装とジュエリーだ。 特に最後の赤十字機構主催の舞踏会のエレガンスなカクテルドレスと胸元のネックレスのデザインは絶品! そしてその美しさを増幅させるのは、自身の生い立ちから生まれた信念と愛の論理の、感動的なスピーチであることに間違いない。
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