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一応、興行の仕事をやっていると、身につまされる事多数。杜撰過ぎる「フェス」づくりの無残さは、実情を知る者にとっては、本当に他人事ではない。 つまり、僕はちっとも冷静に観る事ができなかった。 本作における「FYREフェス」の主催者たる企業家ビリー・マクファーランドとラッパーのジャ・ルール。 まさに時代を映す鏡というか、SNS世代、インスタ映えする「虚飾の中の幸福そうな自分」で富を得た男と、格差の中で圧倒的富裕層になった黒人。 そのどうにもならない成金っぷりからもう反吐が出る。 いわゆる「イケイケドンドン」と現実感のないエモーションと。 「ショウ」と現実が区別がつかなくなる「夢を追う」という幻想。 これが…実に身につまされる。「夢」なんていうものを見ているときは、それを夢だと疑わないが、一方で忍び寄る現実が見えないわけではない。 夢を追う者、というのは、往々にして、夢を追っているのではなく、夢から醒めたくないばかりに現実の方を作り変えそうとする者だ。 そして、全ての人間が涙し不幸になり。現実にはその「追い求めた夢」とはまるで違う誰もが真逆の現実を突きつけられる。 そして、責任の張本人となったビリーこそ。 今もまだ、夢から醒めることから逃げ続け現実を作り変えようとし続けている。 「誰もが楽しいもの」 の幻想の中で、それが幻想に過ぎないとき、本当に誰もが何も見えなくなってしまうという危険の中に、まさに当事者として暗澹たる気持ちになった。
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