
星ゆたか

Writhing Tongue
Avg 3.3
2022.5.10 むかし昔その昔。私が5~6歳だったろうか? 隣家のお姉さんに手を取られ、その弟さんのお見舞いに病院に行った、おぼろげな記憶がある。その時初めて〔破傷風〕という病名を耳にした。 野村芳太郎(1919~2005)監督の力作。他に「張り込み」(1958)「影の車」(1970)「砂の器」(1974)「事件」「鬼畜」(1978)などなど傑作沢山。 本作で主演の渡瀬恒彦さんが、同年「神様のくれた赤ん坊」(前田陽一監督)と共にで男優賞を受ける。 物語は30代半ば過ぎの夫婦の幼い一人娘が、外で遊んでいて、指の先の傷口から“破傷風菌”が侵入し、生死の境をさ迷う話。 我が子の異常に両親も近くの掛かり付けの町医者も、さらに大病院の若医者すらも本当の病名に気づかずにいた。 宇野重吉さん演じる老教授が、やっかいな病気と診断する。 破傷風菌の神経毒のため、口が強張り開きにくくなる。両親はこれを最初、我が子の食べたくない“わがまま”だと思った。 そして次のような症状が。 全身の筋肉が硬直し痙攣(けいれん)を起こす。これが現れると呼吸困難を伴い、非常に致命率の高い感染症となってゆく。 1968年に予防接種ワクチンが開発し開始されたが、発症から10日以内の発作を乗り越えるのが、命にかかわるラインで、医療側も見守る親族も相当な覚悟を必要とされる。 この映画でも四日目の最大の病まばを迎える辺りでは、母親が心身の困窮の疲れから錯乱し、死を覚悟し治療もやめてほしいとすら訴える。そして交替で帰宅した家から、一時動けなくなってしまう。父親も子供の頃敗血症を経験しているので、娘に噛まれた所から感染したのではないかと疑心暗鬼する。そんな時中野洋子さん演じる担当医の女医さんが、優しく強く励ます。 高層団地に住む一家は、病院に妻の母親や、夫の兄や母親、さらに夫の親友などが見舞いにくるが、同じ団地内には心頼れる人もいなそうだ。 この映画は肉親の“死”の不安を目の前に叩きつけられて、私達はそんな時、いったい何を心の支えにするのだろうかと問う。もうひたすら耐え忍ぶしかないのかとも。 映画制作当時から40年。確かに医療環境は進んだ。極端にこの病を恐れなくてもいいのだろう。 しかし果たしてインターネット、マスコミなどの情報過多の現代は、昔より困難に立ち向かうのに生きやすい環境になったのだろうか? 人びとのつながりはスマホなどの活用で昔より強くなったと言えるのか。 拍車をかけてコロナ禍がこの対人関係を分離し目えない心の病を深くした。 こんなにも豊かな環境になっても、内に閉鎖的な心は、時に自殺の病という最悪の手段をとる例が後を絶たない。 果たして貴方は、そして私は、この困難に崩れそうな時、何をもって制するかなのだ。 物語では、入院二週間をもってやっと生死の峠を越え、その後多少の薬の副作用で高熱もでたが、一ヶ月後大部屋に移れた。もうそこまでくれば一安心。 今日の病院の治療様子は分からない。 この映画ではこの細菌病気が、“光と音”に過剰反応するとの事で、部屋中に暗幕を張り巡らして、隣の大部屋の子供達にも、なるべく静かにしてもらう。 だから中盤はほとんど暗闇の中で、発作に苦しむ娘を案じる両親、そして懸命に治療にあたる病院スタッフの人達の間で進められてゆき、見ているのも辛くなった。そして子が病と闘っている中、それを支えるべき両親が、心身共にその状況に翻弄され疲弊してしまうのだから、なおさらだ。 全編に流れる音楽。 ♪《バッハの無伴奏チェロ 組曲より》♪ は静かに病院の中を漂う空気のようだ。厳粛に時を包み込むかのように。 そんな中やっと恐怖と不安から解放された、ラストの両親の明るい素振りは、確かに作品の救いではある。でも中身の混迷時の彼らの表情とのギャップがあって、俳優の見た目の演じ感がせっかくのリアル度に、軽々しい印象を与えてしまった。もう少し、しみじみ喜びを味わう感覚で、終わっただけの方が良かったのでは。