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同じくクシシュトフ・キェシロフスキ監督の『ふたりのベロニカ』での直感を信じて。 当作は「愛」の三部作の1作目。 恋愛・ロマンスを人生の目的にしていないので、「愛の作品です」と書いてあるとしゃがむ。 恋・友情・家族も豊かに育みながらスパイスでいいと思う自分です。 というか「愛」に注力すると、逆に曇らへん? という不安を全てぶっ飛ばしてくれたキェシロフスキ。 「愛の三部作はじめまーす」と宣言して「喪失」から入るんやもん。 凡人はもちろん「ジュテーム~♡」と愛の囁きを想像しますよ。 しかも「夫と子どもを亡くした。彼らを愛してたわ!」に帰結させないし、メインにも持ってこない。 愛の三部作なのに、愛を描かない。 え、もう監督の作品を全部観る。 そして2作目にして監督のイメージが形になりました! “湖か海で拾う、シーグラス(磨(ス)りガラスのカケラ)” 映画ってどうしても“加工物”になるけど、どこまでも素の必然を拾っているよう。 でもそれは人の手を介し選び排したものであって自然に任せているだけでもない。 大地の深くにイデア(真理)が眠っていて、そこに根を下ろし天まで引き上げるような作家が好き。出会えてよかったー!
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