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自然と傍観者になっている人々を嘲笑うような内容に見えて、実際は観客もじっくり考えなければいけない参加型の映画。 この世に正義や助け合いは必要であるけど、実際に正義を行う勇気はあるのだろうか?人を助けて何か得するのだろうか?と考えると、実行に移すほどの大きな意味があることには思えないのが普通だろう。「寛容な社会を作る」という誰も否定できない考えを持っていながら。 この映画では、世界で最も平等な社会と言われるスウェーデンを舞台に、そんな国ですら抱える貧富の差や個人の重要性と集団心理、メディアや芸術を描いている。 美術館のキュレーターである主人公は、前述した「寛容な社会を作る」というテーマのアート「ザ・スクエア」を展示会で発表するが、皮肉なことにそのアートのPRの失敗によって、彼は世間の非難の的になりその地位を脅かされることになる。 この物語はバイスタンダー効果からインスピレーションを受けていて、監督の友人の実体験をもとにしたオープニングのスリのシーンや、終盤の謎のモンキーマンのシーンに顕著に現れている。 モンキーマンのシーンでは、最初モンキーマンをただのパフォーマンスだと思っていた人たちが、それが自分を脅かす存在だと気づいた時に、皆「自分を選ぶな。他人を選べ」と考える。これこそまさにバイスタンダー効果である。他にも、大袈裟過ぎるほどに見て見ぬ振りが強調されているシーンが多々ある。(因みに、モンキーマンのエピソードも実際の出来事をもとにしている。演じているテリーノタリーはキングコングなどを演じたパフォーマーなので、あんなリアルなのも納得) そして、この映画は社会的なコミュニティについても言及している。途中、主人公が娘たちに「昔は大人たちの間で信頼関係があり、自分の子供を一人で外に送り出す事は容易だったが、今は他人をまず不審者として見てしまう」と語るシーンがあるが、その前の娘たちの登場シーンで、主人公は娘の姿を見るまでは家の外でする声に怯えていた。何とも皮肉な事である。 現在は、個人の思いやりではなく社会による支えが主流となっている。度々登場するホームレスを始めとして、この映画の様々な要素がその象徴となり、問題提起となっている。“思いやりの聖域”はまさに今必要なものなのだ。 観た後には誰かと語り合いたくなる、衝(笑)撃的な問題作。上手い事は書けないけど、兎に角必見の作品。
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