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星ゆたか

星ゆたか

2 years ago

3.0


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Escape from Mogadishu

Movies ・ 2020

Avg 3.6

2023.8.9 1990年ソウル五輪の成功後から2年。 ソマリアの内戦に巻き込まれた、韓国と 北朝鮮の大使館の人達の脱出劇の実話の映画化。 北も南も、国連での多数の投票権を持つ アフリカ諸国でロビー活動を展開。 ソマリアの首都モガディシュに駐在する、韓国の大使ハンらと北朝鮮のリム大使らは。 両国間の妨害工作や情報操作でエスカレートしていた。 それぞれ20数年の駐在の苦労実績でプライドも後引かぬものがあった。 そんな中1900年12月30日。 ソマリアで内戦が勃発。各国(イタリア、エジプト、アメリカ、中国ら)の大使館は略奪や焼き討ちに遇い、それぞれの命の危険が狭って。 特に北朝鮮大使館の職員と家族は。 危険なゲリラ攻撃の破壊された街並みを逃げ惑い。 最後の“望み”の韓国大使館の家族の家の前にたどり着く。 そして下げたくない頭をたれ、家族らの命の安全を頼み込む。 ここまでの暴動の無法状態の有り様。 特に驚かされるのは。 小学生位の男の子らが本物のライフル銃を抱え、ヘラヘラしながら、その銃をオモチャのように発射し、振り回す様子だ。 この1980年代に、当時のバーレン大統領の社会主義革命党の独裁体制に不満を持った民族闘争は。 南側のマレハン民族を重視し、北のイサック族らの見捨てるような民族偏重主義政治体制への怒りに発すると言われていた。 この映画製作に対しては。 原作は韓国の大使、この映画の主人公のハン氏によるものだか。 視点が一方的なので。 当時ソマリア国営テレビに勤務し、内戦中家族と一緒にアメリカへ脱出した方の手記が一番参考になったと。 監督リュ・スンワン(73年生まれ)さんは語る。 またソマリアから韓国に来ている留学生の家族ら、年配者の当時の記憶の話。 言葉、文化について知らない事もたくさん教えてもらったと。 またモロッコでの撮影で良かったのは。 安定した太陽の自然光が維持され、計画的に撮れた事。 『午前11時にどの位置に太陽があるのか』を正確に予測できるという事はとても重要ですと。 地元の人達のこの歴史への思い。 国境、人種、言葉の壁を越えた惜しみない協力にも非常に感謝していると。 あえて言えば。 食生活の違い、イスラム国の豚肉・飲酒の禁止は外国人には許可されていましたが。 韓国料理が食べられなかった事は淋しかったと。 後半の韓国・北朝鮮の家族らを四台の車に乗り合わせ。 ものすごいスピードの中、武装過激組織の射撃空間を逃げ切るハイライト場面。 普通の女子供が乗り込んでいる状況で見せる演出は。 一体どうやって撮影したのか、スリル感を味わう前に、その出演者らが心配になりましたね。 一党独裁ソマリア社会主義党SRSPのムハマンド・シアド・バーレ政権は。 1991年1月、統一ソマリア会議USCによって倒され。 その後長い間無政府状態が続き、2012年に正式な政府が発足するが。 約10年が経った今もその影響力は限定がち。 イスラム過激派による攻撃や自爆テロなどが中部と南部を中心に各地で続いているという。 700万人(埼玉県と同じ人)が緊急支援を必要としていて。 250万人が安全な飲料水、生活用水に困っていると。 21万人の子供らが深刻な栄養不良に陥っているそうです。 2023年3月現在。危険情報「レベル4」。退避勧告が発足されている状態とか。 この映画に描かれた時代から30年以上経過してますが。 その危険な状況が変わらず続いているというのが。 映画の興奮の記憶に変わって心に残ります。 そしてこの地球上で争いが絶えない長い歴史的状況の解決策として。 命の生存の為に、人種、言語、主義の壁を越えて。 共に地球人が👬👭👫手を繋ぎ、立ち向かう為には。 💫👽宇宙人からの征服という状況しか、方法は無いのだろうか❓ という感想を持った人も。 このアジアの北と南の小国の、奇跡的和解の瞬間が見とれる歴史的映画に。 少なくないのではないか。