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生と死とは何かを問う作品だった。 プラスティネーション。要は人間の死体をオブジェにすることだけど、私はそれがグロテスクに思えてならなかった。作中ではそれを死を超越するかのような捉え方をしていたけども、それは生きている人のエゴでしかない。死んだ人間を生きているかのようにポーズをとらせ、オブジェに仕立て上げる。それは故人もきっと喜んでいることだろうと思っての行為だろうが、私としては、死してなお何かをやらされているように見える。ゆっくり寝かせておいてあげればいいのにと思ってしまう。 死と向かいあったエマと、死を克服しようとした天音。果たしてどちらが正しかったのだろうかという議論は無駄かな。 エマは死を美しいものだと捉えていた。でも、結局のところ、大切な人の死を受け止めきれず、その果てが死体オブジェだったわけだ。死は怖いものでもなく、悲しいものでもないと必死に自分に言い聞かせ、抗った結果がそこだったのだ。その姿は悲しく、痛々しく見えた。 一方天音は人間誰もが願う不老不死を現実にした。エマが求めた死を超越してしまうものだった。しかし、実際に不老不死になろうものなら、様々な問題が発生する。出生率の低下、自殺者の増加。死なない体になると価値観は大いに変わることだろう。自分の終わりが見えないと急に不安になる。自分は永久にこのままなのかと。 そもそも人間は永久に生きられるように出来ていない。そうなるのであれば、人間の精神構造は木や草のようでなければ生きていけないだろう。永久に生きるには、人間は繊細すぎる。不老不死を得た人類は衰退していくことだろう。 死は生の中にあるとエマは語っていたが、まさにそれがこの作品の答えなのだろう。延命手術を受けなかった利仁は人間的に大きく成長している。それは肉体が老いてこそ出来る成長なのだ。若々しい肉体のままのリナは彼ほど人間的な成長はしていない。老いて家族に看取られて亡くなる。それはとても美しいものなのではないだろうか。死は恐ろしいものではないと思えるのは、その人が満足のいく人生を歩んでいなければならない。リナは利仁からそれを学んだ。人間が本当に求めているのは、不老不死ではなく、充実した生なのではないだろうか。幸せな生涯、幸せな死。それをリナは最後に掴み取ることが出来たのだろう。誰に押し付けるのでもなく、ただ静かにその時を待とうというその姿に少し胸が熱くなった。
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