On the Beach
On the Beach
1959 · Drama/Romance/SF/Disaster · United States
2h 13m



In 1964, atomic war wipes out humanity in the northern hemisphere; one American submarine finds temporary safe haven in Australia, where life-as-usual covers growing despair. In denial about the loss of his wife and children in the holocaust, American Captain Towers meets careworn but gorgeous Moira Davidson, who begins to fall for him. The sub returns after reconnaissance a month (or less) before the end; will Towers and Moira find comfort with each other?
笑いと推理が交差する、時代ミステリー
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Cast/Crew
Comment
10+Soundtrack Info

Peter and Mary

Dwight's Visitor

The Boat Race

The Boat Race

The Mysterious Signal

The Mysterious Signal
dreamer
4.5
このスタンリー・クレイマー監督の映画「渚にて」が、反戦的なテーマを持っていることは自ずと明らかであるように思います。 遂に、誰もいなくなった広場にかかっている「まだ時間はある。兄弟たちよ」という横断幕が写し出されるシーンで、この映画は終るのですが、明らかにこの横断幕は、この映画を観ている人々に対して提示されているのだと思います。 この映画が製作された1950年代終盤というのは、冷戦下における、東西陣営の両極化が明瞭になり、軍拡の時代がまさに到来せんとしていたような時代でありました。 まだ時間があるというメッセージは、そういう軍拡競争が手遅れなポイントまで達するのを阻止することが、今ならまだ出来ると我々観る者に向かってアピールしているように思えます。 この映画の面白いところは、戦争の残虐さを残虐なシーンを見せることによって訴えるというような、通常よくある手法を用いるのではなく、逆に全くそういうシーンを描くことなく、見事に戦争の無益さというテーマを表現している点です。 例えば、核戦争で世界が壊滅したのなら、TV映画の「ザ・デイ・アフター」(1983)のような、どこもかしこも廃虚になっているような舞台を想像してしまうのですが、この「渚にて」には、ガラガラに崩れた廃虚など、どこにも登場しないんですね。 この映画においては、核戦争が発生したならば、軍事施設の次にターゲットになるであろうはずのサンフランシスコのような大都市ですら、無傷で残っているのです。 ただし、そこには誰一人生存者はいないわけであり、無傷で残った大都市に、ただの一人も人間が住んでいないという不思議な光景が、実に奇妙な虚無感を生み出すことに成功しているように思われます。 それから、放射能汚染による即時の生命の壊滅から免れた、地球上で唯一の国であるオーストラリアにも徐々に放射能が迫ってくるのですが、そこで営まれている生活が、最後の最後まで通常通り続いていく様を描いた後に、最後のシーンで、そのオーストラリアも無人の廃虚と化したシーンが写し出されます。 今まであったものがなくなってしまう様子を通じて、なんとも言えない虚無感、あるいは無為感が表現されているように思います。 こういう表現になったというのも、恐らくこの映画が製作された時代の、時代的な背景も一役買っていたのかもしれません。 もちろん、先ほど述べたような、東西の冷戦の初期の頃という背景もそうなのですが、この時代が、第二次世界大戦及び朝鮮戦争が終った後で、なおかつ、ベトナム戦争はまだ先であったという、中間的な時代であったということです。 戦争をリアルな戦争シーンとしてではなく、いわば"what-if"的なシナリオで描くような、婉曲的な表現方法が好まれたのかもしれないということです。 この映画の数年先には、キューバ危機のような事件も発生するのですが、「渚にて」という映画は、戦争の無益さを描いた、東西冷戦時代の映画の先駆けだと言ってもいいのではないでしょうか。 いずれにしても、「渚にて」は常套的な手段に頼らない、非常に変わった印象のある映画であり、カテゴリー的には、時としてSFとして扱われることもありました。 だが、製作意図という見地から見た場合には、時代的背景も考え合わせてみれば、SFというよりは、もっとより現実感覚へのアピールという側面が強い映画だったのではないかと思います。
アリちゃんパパ
3.5
大昔にテレビで観たので細かなストーリーは全く覚えてません。すみません。 しかし核戦争の恐ろしさは、子供だった私にも強烈な印象として焼き付いています。
ご自由さん
3.5
若き頃評判の作品もテーマが暗く何度もパスした。40年前の作品であるが、いまこそ一番恐ろしい時代。核戦争後の放射能汚染より、迫りくる人類滅亡を、良識ある豊かな人々、家庭を通して静かに淡々と描写。実際はこんな静かな良識ある最後にはならない。それでも人類の愚かさと悲しみがよく出ている。
隣の映画初心者
3.0
公開当時の経験値と、多数の地上核実験やチェルノブイリ、東海村、福島を経験した今だと、どうしても感じ方が異なってしまうのだろう。 現代では逆に作れない映画だと思う。しかし、現実的なありそうな危機を、どんなふうに表現するのか?また、人々の不安をどう描写するのか、など、当時においては、とても挑戦的な映画だったのではないだろうか。
sic
2.0
〈第3次世界大戦〉〈原水爆戦争〉の詳細もなく、ドラマ第2章のような冒頭から〈放射能汚染〉で〈人類滅亡〉が迫る空想ドラマ 何処と何処が戦争?世界中が汚染されるほど大量に爆弾を使用したのか? 【宇宙戦艦ヤマト】のガミラスの侵略じゃあるまいし〈ありえない設定〉と、建造物の破壊も遺体もない街並み〈爆撃もなく早期終了?〉 それにしては生き残った人類たちの緊迫感のないこと!開き直ったのか? 〈いない筈の場所でモ―ルス信号〉の謎、捜索を命じられた〈潜水艦クル―たちと家族〉の人間ドラマが見どころだが、盛り上がりもなく淡々とした演出は退屈で〈病に伏せた人々の血色(様相)のいいこと〉が不自然 強いて言えば〈モ―ルス信号の真相〉までの過程、ラスト手前のスピード感のある〈カ―レ―ス〉シ―ンが印象に残った程度の一本
Taul
3.5
『渚にて』(1959)初鑑賞。原作未読。世界終末ものの古典。当時のアメリカ映画らしくスターによるドラマ重視でグレゴリー・ペックとエヴァ・ガードナーの恋愛ものでも。スペクタクルはほぼ無いが潜水艦が死滅した都市に向かうイメージは強烈。人間ドラマはクドい感じは否めないが、人々の決断とラストショットで後世に残る作品になった。 『渚にて』先日Netflixで見た『ミッドナイト・スカイ』からようやくそのジャンルの古典を。このコロナ禍で見ると生き延びてる人達が生活においてはほぼ普通でそこはある意味リアル。しかし結局愛情や愛国心にも辛い選択が。『復活の日』始めこれを受けての各種終末ものがあるという感じがした。
Ma
4.0
This may contain spoiler!!
Lizzy
3.0
映像化する必要の無い傑作なので原作を読みましょう。
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