しまとも3.0寅さんとリリーの物語。ケンカしたり、仲直りしたりする。好きあっていても、結婚して幸せになれない二人が、なんとも物悲しいラスト。寅さんなりの優しさと、自分の生き方に対するプライドを感じる。Like6Comment0
星ゆたか4.02022.6.11 座談会シリーズ第四回。梅雨の時期にピッタリの映画を選びました。 出演は同じみ、星ゆたか、光みつる、風かおる、雲かすみ、雨あられです。 (星)それでは皆さん今回も宜しくお願いします。 昭和44年(1969年)に始まったシリーズ第15作目、六年目の一つの到達点に達した、最高傑作との誉れ高い作品です。マドンナ役通算四回の浅丘ルリ子さんが、二回目の出演、旅回り歌手・リリーを演じ、彼女にとっても代表作になりましたね。 (光)なんと言っても船越英二さんの蒸発男と、寅さん、リリーという二人の旅暮らしのベテラン合わせて三人で、繰り広げられた前半がシリーズでは異色です。そしてそのトリオ漫才的な面白さは最高の喜劇でした。こういった三角等辺の人物が平行したドラマ展開は珍しいでしょ! (風)落語家の立川志らくさんが、寅さんマニアを自称するだけあって。 その会話の面白さ、テンポ・リズムの歯切れの良さ、俳優の計算された演技の掛け合い、そのための一番効果的なカメラワークなどの演出。 初めから終わりまで、だれることなく、見事に名人落語“演話芸”を堪能できました。 (雲)またこれは山田洋次監督がおっしゃった言葉『“余禄”の撮影風景』が随所にあり、忘れられなくなります。それは物語の上で感動させられたり共感したりした後、芝居とは直接関係ない風景に、何とも知れない深い感情移入ができるんです。例えば北海道で三人が日の落ちかけた浜辺で子供のように戯れた光景とか、柴又帝釈天近辺の人達の日常スケッチなどなど。監督のいう、その場所その時にしか見る事の出来ない日本の風景を寅さん映画で、いかに生かし残すかですよね。 (雨)寅さん人物像の“大人っぽい”部分と“子供っぽい”部分とが、交互に表れ、それが大きな三つの名場面を生みましたね。 《リリーの晴れ舞台を語る寅さんのアリア》《とらやでのメロン騒動》《喧嘩した後での寅さんとリリーの相合い傘》です、シリーズ屈指の名場面です。 (星)アリアって、渥美さんお得意の聴衆を惹き付けて放さない一人がたり。 リリーがあまりにもみすぼらしい所で歌っているので、一回位もし俺に金があったら、立派なステージで歌わせたい。と延々にとらやの人達の前で語ってゆく場面は、やはり今回も泣かされました。あそこは後に渥美さん回顧の特別番組で、ゲストに招かれた浅丘さんも泣かれてました。 (光)メロン騒動は船越さん演じる人物の、旅先で世話になったお礼の到来ものをめぐっての話。 寅さんの分をうっかり忘れて皆が食べようとして、彼がふくれ寅さんなりの文句をたれる訳です。 するとリリーさんが一言申す。 『ちょっと寅さん大人げないよ、お前さんのような人間をここまで思ってくれる人達が他にどこにいるってんだい!日頃お世話になっている皆さん、どうぞ召し上がって下さいって言うのが本当だよ。』 これは自分でも内心わかっているんです。しかしみんなの前で女に叱られて憤慨するんですよね。 かつてここまで彼を叱れるマドンナは、後にも先にも彼女しかいません。だからとらやの人達も寅さんの嫁さんに是非と思う訳なんですが。 (雲)現代から考えると何もメロン一つをめぐって?なんですけどね。あの頃はメロンは高級品で、そう度々食べられなかった。劇中でも一年ぶりって言ってました。お祝いとかお見舞いとかの特別の食べ物。 渥美さんは完成した映画を、決まって封切り館で、じかに見たらしいんですけど。 後にこの映画の新宿と浅草の客の反応が違いを話してました。浅草の客の方が寅さんよりの反応、つまりメロンの切り忘れは寅さんが気の毒!と同情するらしいと。浅草は人情の町、新宿はドライな都会っていう違い。 (雨)そして次の日の雨の夜、寅さんは叱られてしゃくなんだけど、番傘を差して柴又駅まで、背一杯虚勢をはって仕事帰りの彼女を出迎える訳です。どうせ自分には家族の出迎えもないと思っていた彼女の表情が一気にほぐれるその場面は ♪寅とリリーの哀愁のセレナーデ♪の音楽も相まって、思わず涙がこぼれました。 (風)多くの現代の日本人は、心の中では「人間的ふれあい」の希薄化を嘆きながら、オンラインの「生活の利便性」を優先して暮らしています。 失ってしまった「思いやり」や「気づかい」といった人間の心配りこそが、寅さん映画の真骨頂なんです。しかし現代の若い人達などには、時にウザッタイという反応を示しがちなんだよね。 「光)そういう心配りは、確かに正直面倒だったりする。しかし無機質な生活を続けていくと、やっぱり振り返ってみて一抹の寂しさを覚えたりもしますよね。例えていうなら、一年中コンビニでも好まれる“おでん”のような、昔ながらの故郷の温もりですか? あぁおばぁちゃん、おじぃちゃんに優しくしてもらったなぁっていう心の郷愁です。 そんな時寅さん映画を見ることで、この「人間らしさ」を確認できるのでしょうね。 (雲)そこに描かれた人間関係の微妙なひだは、時代や国境を越えた普遍性を有するものです。そしてあれほど「日本的」である寅さん映画が、言語や文化の壁を乗り越えて、海外でも高く評価されている所以でしょう。 (星)それではまだまだ話も尽きませんが。ここで私事ではありますが。最後に寅さん関連の話題として。 もう5~6年前になりますでしょうか。渥美清没後20年追悼企画 「男はつらいよ』の世界 という催しに参加したことがありました。映画監督の山本晋也さんと、もとNHKアナウンサー渡辺俊雄さんのトークライヴでした。シリーズ作品の名シーンだけを次々と見せながらその解説をして、共に楽しむイイ時間でした。もちろん本作も話題の一つに上がりました。一本の映画を丸々楽しむのとは違う良さがありましたよ。 さて今日のところは、そんな映画の感動をこのレビューを読んでくれた人とシェアした所で。 お後がよろしいようで。 ありがとうございました。Like4Comment0
樹佳4.5 男はつらいよシリーズ最高傑作とまで言われる今作。 マドンナは二度目となる浅丘ルリ子さん演じるリリーですが、正直僕は出演一度目第11作のリリーさんはあまり好きではありませんでした。どこか情緒不安定で、とらやで皆が寝静まるなか酒に酔ってきて喚き散らして、いつもめちゃくちゃな寅さんでさえ宥めるような女性。 今まで寅さんと同じようにマドンナに恋をしてフラれたような気分になっていた僕は、今作を見るのが少し怖かった。 でも、見てみて絶賛される意味が良く分かった。リリーさんが大好きになった。 当時の女性がどんな立場だったか僕には分かりませんが、リリーさんは凛としていて女である自分に誇りを持っていて、だけど男に幸せにして貰おうなんて考えてなくて、ピシャリと自分の意見を言ってのける本当に格好いいそんな女性。 初めてあった時は酷い別れ方をしても、また再会した時にはぐっとその人の魅力に気付いてしまう。そんな出会いってありますよね。 忘れな草の「ほら、逢っている時は何とも思わねえけど別れた後で妙に思い出すひとがいますね…そういう女でしたよ あれは」 というキャッチコピーがなんだか今作で府に落ちました。 少し話は逸れますが、さくら宅にリリーさんが電話をかけてきた時、リリーさんが遠慮してしまわないように、何度も「本当よ」ってさくらが伝える姿を見てこういう気遣いが何だか今は薄れたように思えてなりませんでした。 多様性だなんだと言われる世の中ですが、よっぽど人間同士の繋がりや情愛がなくなってきているように、20余年しか僕は生きていませんがそのように感じました。 ラストにさくらも言っていたけれど、寅さんとリリーさんはある意味で本当に恋愛や男女の友情などそんなものでは言い表せない周りには分かり様のない切っても切れない心の繋がりのある「ともだち」だったんだろうと思いました。 男女の友情っていうとお互いに「異性として見てない」とか何とか言っちゃうけれど、そうじゃないよね。しっかり異性として魅力を感じてお互いに尊重してるからこそ「ともだち」でいられるんだよね。 寅さんにとってもここまで我が儘な自分をさらけ出して間違ったこと言ったら正してくれて、腹が立ったら本気で言い合えるマドンナはリリーさんだけなんだよね。 きっとこの2人は何度酷い別れ方をしてもどこかで繋がっているんでしょうね。 相合傘のシーンがホントに素敵です。どんなに相手に腹が立っていても、雨が降ったら心配で心配でしょうがない。だけど、喧嘩している手前皆には素直に言えないし、散歩だなんだいって突っ立っている寅さん。不器用だなぁ‥笑 格好いいなぁ 全体通して、寅さんが旅に出るシーンが無かったのも珍しいんじゃないでしょうか。 長くなりましたが、シリーズ最高傑作の名に相応しい何とも愛らしい作品でした!Like2Comment0
dreamer5.0"男はつらいよシリーズ中の最高傑作!!" 都会での生活を長くしていると、日々の暮らしの中で何故か意味もなく疲れ、空虚感を覚え、自分を含めて周りの人々も無表情で、まるで人間を感じる事が希薄になって来るような人間不信に陥ってしまう事がたびたびあります。 しかし今や国民的映画と言える「男はつらいよ」シリーズを繰り返し観ていると、ここで描かれているものは、このような非人間的な世界とは対照的な、孤独な人間と人間が寄り添って生きる人情味溢れる世界を味わう事が出来ます。 このシリーズを観ていてまず思うのは、おかしさと悲しさとは表裏一体の関係にあるという事です。 人間が悲劇的な事を一生懸命にやっているというのは、端から見ると喜劇になってしまう事があります。喜劇になるか悲劇になるのかは、"物語の展開ではなくて、映画の作り手側の感性だ"というゴーリキーの有名な言葉があります。 山田洋次監督の感性は悲劇的な話も喜劇にしてしまう素晴らしさがあり、これは日本人の笑いの基本とも言われる"落語の世界"のもつ客観主義、つまり、おかしさにも悲しさにも溺れずに、常に客観的な冷たい視点を山田洋次監督が映像作家として持っているからだと思います。 このシリーズを観終った後に感じる、あのほのぼのとした、心が満ち足りた思いは、決して自分ひとりだけが感じるものではなく、他の映画を観た多くの人々が、再び生きる勇気をもらって現実の社会生活に戻って行くのだと思います。 "寅さんの素朴な人間愛、優しさが現実の厳しい生活に憔悴し切った我々観客の心をどれだけ癒し、慰め、励まし、再び生きる歓び、活力を与えてくれたことか"----今更ながら映画の持つ力、インパクトの凄さについて考えさせられます。 そしてこのシリーズは山田洋次監督のものであると同時に主演の寅さんこと、香具師の車寅次郎のものであり、彼こそ日本中の映画ファンの共感と憧憬を勝ち得てきた、日本人のいわば原型ともいうべき愛すべきパーソナリティに満ち溢れています。 寅さんを演じる渥美清は、山田洋次監督をして「あれぐらい繊細で、人の気持ちがよくわかって、優しくて、同時にクールで、洗練された人っていうのは、ちょっといないでしょう」と言わしめ、"寅さんか渥美清か"という凄い存在になっていきます。 しかし、この寅さんという役とのあまりの一体感のため、その後の渥美清という役者のイメージが固定化し、その他の様々な役柄を演じる事が出来なくなったのは、彼にとってある意味、不幸でもありました。 この寅さんと表裏一体の関係で、この映画に欠かせないのが妹さくらの存在で、"倍賞千恵子かさくらか"と本人も気づかないくらい、さくらという役になり切って見事です。 山田洋次監督がこのシリーズで本当に描きたいのは、寅さんよりも、むしろこのさくらという女性ではないかとさえ思えてきます。 このような心の優しい、気のきいた女性こそ本当の日本女性の理想像のような気がします。 山田洋次監督も、この寅さんとさくらの二人と、それを取り巻く柴又・帝釈天界隈の人々の人情を通して、日本人論をパロディ的な世界の中で描いているのだと思います。 今回鑑賞しましたシリーズ15作目の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」は11作目の「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」の続編ともいうべきもので、マドンナ役が11作目に続いて、ドサ回りの放浪の歌手リリーを演じる浅丘ルリ子で、美しいがために不幸で気の強い、しかし心優しき女の哀しみを彼女は、その表情のひとつひとつ、所作のひとつひとつで実に繊細に尚且つ味わい深く表現していて、まさに惚れ惚れするような名演技です。 彼女はその後も25作目の「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」、シリーズ最終作となる48作目の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」にもリリー役で出演しています。 シリーズ中、たくさんの女優によって様々なマドンナが登場しましたが、堅気の女性ではなく、いわば寅次郎と似たような境遇で人生の苦しさ、悲しさも知り尽くし、相思相愛の間柄になるリリーこそが最高の真のマドンナだと私は思います。 山田洋次監督もこの「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」がシリーズ全48作中、最も好きな映画だと語っていて、マドンナ役の浅丘ルリ子についてもシリーズ中のマドンナ役としては最も思い入れがあると語っています。 また、彼女についても「勘が素晴らしく良くて、切れ味がいいんですねえ。芝居もスピーディだし」と絶賛しています。またマドンナという存在について「寅が絶対に魅力を感じない女性はいるんです。それは向上することを求めない女性、より真実な生き方についてまじめに考えようとしない女性、おしゃれや快楽のみに身をやつしている女性です」とも語っていて、これは勿論、山田洋次監督自身の女性観でもあり、失恋する事もなく、変わる事のない本当のマドンナこそ、監督の中では、実は"さくら"なんだと思います。 この映画で印象的なエピソードとして、大会社のエリート社員で蒸発した男を演じる船越英二が、下町に対する山の手、ドロップアウトに対する常識人という対比の構図で出てくるところが、このシリーズ中で今迄にない批判的な色彩を帯びていて興味深いと感じました。 そして寅さんとリリーとエリート社員の三人が共に旅する小樽でのシーンが情緒たっぷりな演出で、映画の素晴らしさを堪能させてくれました。 ある日、ふらりと柴又の寅屋の店先に舞い戻り、有名なメロンにまつわる騒動の末、やがて再び、ひとり漂泊の旅に出て行く寅さんの後ろ姿には"人生、これ過客の如し"という刹那的な哀歓が込められていて、このシリーズの重要な核になっているシーンだと思います。 この映画の寅さんがひとり海辺にいて、画面一杯に広がる青海原を眺めるラスト近くのシーン、そして、それを笑いのミニ・バスに切り替えてのエンドという演出は、このシリーズが意味するものを象徴的に暗示している優れたシーンとしていつまでも心の奥底に深く残る、素晴らしいラストシーンだったと思います。 なお、この映画で浅丘ルリ子は第30回毎日映画コンクールの最優秀主演女優賞、第18回ブルーリボン賞の最優秀主演女優賞、キネマ旬報の最優秀主演女優賞を受賞とその年の賞をほとんど受賞するなど、絶賛されました。 また、倍賞千恵子も同ブルーリボン賞の最優秀助演女優賞を受賞しています。Like2Comment0
いやよセブン3.5歌手のリリー(浅丘ルリ子)2回目の登場で、寅さんは最適な相手と結ばれるのか。 親の七光り重役(船越英二)が家出、北海道で寅さんとリリーとともに旅を続ける。 シリーズ屈指の"メロン事件"もこの作品だ。 寅さんの意気地なし。Like1Comment0
tana-hiro4.0リリーさんとの絡む2作目の作品。 最初の忘れな草と続いて見るとわかりやすい。 有名なメロン騒動はこの作品だったのかと思い返すし、リリーさんのプロポーズを聞き流してしまう寅さん残念。 それにしても、コロナ禍で寅さんシリーズの名作を一挙に見られる幸せ!Like1Comment0
ひでP3.52025年01月18日BS171BSテレ東。 シリーズの第15作。 マドンナに「寅次郎忘れな草」(第11作)の浅丘ルリ子が再出演。 寅次郎とリリーの結婚話で“とらや”の面々が振り回される。 全国を旅して回るフーテンの寅。 東北のとある田舎町で会社も家族も捨て蒸発した変わった中年男と出会う。 心配した寅は男の家族と連絡をとりつつ、二人旅へ。 そんなある日、函館で寅は偶然リリーと2年ぶりの再会をする。 ドサ回りの歌手に戻ったリリーを加えた3人は楽しい旅を続けるが。Be the first one to like!Comment0
しまとも
3.0
寅さんとリリーの物語。ケンカしたり、仲直りしたりする。好きあっていても、結婚して幸せになれない二人が、なんとも物悲しいラスト。寅さんなりの優しさと、自分の生き方に対するプライドを感じる。
星ゆたか
4.0
2022.6.11 座談会シリーズ第四回。梅雨の時期にピッタリの映画を選びました。 出演は同じみ、星ゆたか、光みつる、風かおる、雲かすみ、雨あられです。 (星)それでは皆さん今回も宜しくお願いします。 昭和44年(1969年)に始まったシリーズ第15作目、六年目の一つの到達点に達した、最高傑作との誉れ高い作品です。マドンナ役通算四回の浅丘ルリ子さんが、二回目の出演、旅回り歌手・リリーを演じ、彼女にとっても代表作になりましたね。 (光)なんと言っても船越英二さんの蒸発男と、寅さん、リリーという二人の旅暮らしのベテラン合わせて三人で、繰り広げられた前半がシリーズでは異色です。そしてそのトリオ漫才的な面白さは最高の喜劇でした。こういった三角等辺の人物が平行したドラマ展開は珍しいでしょ! (風)落語家の立川志らくさんが、寅さんマニアを自称するだけあって。 その会話の面白さ、テンポ・リズムの歯切れの良さ、俳優の計算された演技の掛け合い、そのための一番効果的なカメラワークなどの演出。 初めから終わりまで、だれることなく、見事に名人落語“演話芸”を堪能できました。 (雲)またこれは山田洋次監督がおっしゃった言葉『“余禄”の撮影風景』が随所にあり、忘れられなくなります。それは物語の上で感動させられたり共感したりした後、芝居とは直接関係ない風景に、何とも知れない深い感情移入ができるんです。例えば北海道で三人が日の落ちかけた浜辺で子供のように戯れた光景とか、柴又帝釈天近辺の人達の日常スケッチなどなど。監督のいう、その場所その時にしか見る事の出来ない日本の風景を寅さん映画で、いかに生かし残すかですよね。 (雨)寅さん人物像の“大人っぽい”部分と“子供っぽい”部分とが、交互に表れ、それが大きな三つの名場面を生みましたね。 《リリーの晴れ舞台を語る寅さんのアリア》《とらやでのメロン騒動》《喧嘩した後での寅さんとリリーの相合い傘》です、シリーズ屈指の名場面です。 (星)アリアって、渥美さんお得意の聴衆を惹き付けて放さない一人がたり。 リリーがあまりにもみすぼらしい所で歌っているので、一回位もし俺に金があったら、立派なステージで歌わせたい。と延々にとらやの人達の前で語ってゆく場面は、やはり今回も泣かされました。あそこは後に渥美さん回顧の特別番組で、ゲストに招かれた浅丘さんも泣かれてました。 (光)メロン騒動は船越さん演じる人物の、旅先で世話になったお礼の到来ものをめぐっての話。 寅さんの分をうっかり忘れて皆が食べようとして、彼がふくれ寅さんなりの文句をたれる訳です。 するとリリーさんが一言申す。 『ちょっと寅さん大人げないよ、お前さんのような人間をここまで思ってくれる人達が他にどこにいるってんだい!日頃お世話になっている皆さん、どうぞ召し上がって下さいって言うのが本当だよ。』 これは自分でも内心わかっているんです。しかしみんなの前で女に叱られて憤慨するんですよね。 かつてここまで彼を叱れるマドンナは、後にも先にも彼女しかいません。だからとらやの人達も寅さんの嫁さんに是非と思う訳なんですが。 (雲)現代から考えると何もメロン一つをめぐって?なんですけどね。あの頃はメロンは高級品で、そう度々食べられなかった。劇中でも一年ぶりって言ってました。お祝いとかお見舞いとかの特別の食べ物。 渥美さんは完成した映画を、決まって封切り館で、じかに見たらしいんですけど。 後にこの映画の新宿と浅草の客の反応が違いを話してました。浅草の客の方が寅さんよりの反応、つまりメロンの切り忘れは寅さんが気の毒!と同情するらしいと。浅草は人情の町、新宿はドライな都会っていう違い。 (雨)そして次の日の雨の夜、寅さんは叱られてしゃくなんだけど、番傘を差して柴又駅まで、背一杯虚勢をはって仕事帰りの彼女を出迎える訳です。どうせ自分には家族の出迎えもないと思っていた彼女の表情が一気にほぐれるその場面は ♪寅とリリーの哀愁のセレナーデ♪の音楽も相まって、思わず涙がこぼれました。 (風)多くの現代の日本人は、心の中では「人間的ふれあい」の希薄化を嘆きながら、オンラインの「生活の利便性」を優先して暮らしています。 失ってしまった「思いやり」や「気づかい」といった人間の心配りこそが、寅さん映画の真骨頂なんです。しかし現代の若い人達などには、時にウザッタイという反応を示しがちなんだよね。 「光)そういう心配りは、確かに正直面倒だったりする。しかし無機質な生活を続けていくと、やっぱり振り返ってみて一抹の寂しさを覚えたりもしますよね。例えていうなら、一年中コンビニでも好まれる“おでん”のような、昔ながらの故郷の温もりですか? あぁおばぁちゃん、おじぃちゃんに優しくしてもらったなぁっていう心の郷愁です。 そんな時寅さん映画を見ることで、この「人間らしさ」を確認できるのでしょうね。 (雲)そこに描かれた人間関係の微妙なひだは、時代や国境を越えた普遍性を有するものです。そしてあれほど「日本的」である寅さん映画が、言語や文化の壁を乗り越えて、海外でも高く評価されている所以でしょう。 (星)それではまだまだ話も尽きませんが。ここで私事ではありますが。最後に寅さん関連の話題として。 もう5~6年前になりますでしょうか。渥美清没後20年追悼企画 「男はつらいよ』の世界 という催しに参加したことがありました。映画監督の山本晋也さんと、もとNHKアナウンサー渡辺俊雄さんのトークライヴでした。シリーズ作品の名シーンだけを次々と見せながらその解説をして、共に楽しむイイ時間でした。もちろん本作も話題の一つに上がりました。一本の映画を丸々楽しむのとは違う良さがありましたよ。 さて今日のところは、そんな映画の感動をこのレビューを読んでくれた人とシェアした所で。 お後がよろしいようで。 ありがとうございました。
樹佳
4.5
男はつらいよシリーズ最高傑作とまで言われる今作。 マドンナは二度目となる浅丘ルリ子さん演じるリリーですが、正直僕は出演一度目第11作のリリーさんはあまり好きではありませんでした。どこか情緒不安定で、とらやで皆が寝静まるなか酒に酔ってきて喚き散らして、いつもめちゃくちゃな寅さんでさえ宥めるような女性。 今まで寅さんと同じようにマドンナに恋をしてフラれたような気分になっていた僕は、今作を見るのが少し怖かった。 でも、見てみて絶賛される意味が良く分かった。リリーさんが大好きになった。 当時の女性がどんな立場だったか僕には分かりませんが、リリーさんは凛としていて女である自分に誇りを持っていて、だけど男に幸せにして貰おうなんて考えてなくて、ピシャリと自分の意見を言ってのける本当に格好いいそんな女性。 初めてあった時は酷い別れ方をしても、また再会した時にはぐっとその人の魅力に気付いてしまう。そんな出会いってありますよね。 忘れな草の「ほら、逢っている時は何とも思わねえけど別れた後で妙に思い出すひとがいますね…そういう女でしたよ あれは」 というキャッチコピーがなんだか今作で府に落ちました。 少し話は逸れますが、さくら宅にリリーさんが電話をかけてきた時、リリーさんが遠慮してしまわないように、何度も「本当よ」ってさくらが伝える姿を見てこういう気遣いが何だか今は薄れたように思えてなりませんでした。 多様性だなんだと言われる世の中ですが、よっぽど人間同士の繋がりや情愛がなくなってきているように、20余年しか僕は生きていませんがそのように感じました。 ラストにさくらも言っていたけれど、寅さんとリリーさんはある意味で本当に恋愛や男女の友情などそんなものでは言い表せない周りには分かり様のない切っても切れない心の繋がりのある「ともだち」だったんだろうと思いました。 男女の友情っていうとお互いに「異性として見てない」とか何とか言っちゃうけれど、そうじゃないよね。しっかり異性として魅力を感じてお互いに尊重してるからこそ「ともだち」でいられるんだよね。 寅さんにとってもここまで我が儘な自分をさらけ出して間違ったこと言ったら正してくれて、腹が立ったら本気で言い合えるマドンナはリリーさんだけなんだよね。 きっとこの2人は何度酷い別れ方をしてもどこかで繋がっているんでしょうね。 相合傘のシーンがホントに素敵です。どんなに相手に腹が立っていても、雨が降ったら心配で心配でしょうがない。だけど、喧嘩している手前皆には素直に言えないし、散歩だなんだいって突っ立っている寅さん。不器用だなぁ‥笑 格好いいなぁ 全体通して、寅さんが旅に出るシーンが無かったのも珍しいんじゃないでしょうか。 長くなりましたが、シリーズ最高傑作の名に相応しい何とも愛らしい作品でした!
dreamer
5.0
"男はつらいよシリーズ中の最高傑作!!" 都会での生活を長くしていると、日々の暮らしの中で何故か意味もなく疲れ、空虚感を覚え、自分を含めて周りの人々も無表情で、まるで人間を感じる事が希薄になって来るような人間不信に陥ってしまう事がたびたびあります。 しかし今や国民的映画と言える「男はつらいよ」シリーズを繰り返し観ていると、ここで描かれているものは、このような非人間的な世界とは対照的な、孤独な人間と人間が寄り添って生きる人情味溢れる世界を味わう事が出来ます。 このシリーズを観ていてまず思うのは、おかしさと悲しさとは表裏一体の関係にあるという事です。 人間が悲劇的な事を一生懸命にやっているというのは、端から見ると喜劇になってしまう事があります。喜劇になるか悲劇になるのかは、"物語の展開ではなくて、映画の作り手側の感性だ"というゴーリキーの有名な言葉があります。 山田洋次監督の感性は悲劇的な話も喜劇にしてしまう素晴らしさがあり、これは日本人の笑いの基本とも言われる"落語の世界"のもつ客観主義、つまり、おかしさにも悲しさにも溺れずに、常に客観的な冷たい視点を山田洋次監督が映像作家として持っているからだと思います。 このシリーズを観終った後に感じる、あのほのぼのとした、心が満ち足りた思いは、決して自分ひとりだけが感じるものではなく、他の映画を観た多くの人々が、再び生きる勇気をもらって現実の社会生活に戻って行くのだと思います。 "寅さんの素朴な人間愛、優しさが現実の厳しい生活に憔悴し切った我々観客の心をどれだけ癒し、慰め、励まし、再び生きる歓び、活力を与えてくれたことか"----今更ながら映画の持つ力、インパクトの凄さについて考えさせられます。 そしてこのシリーズは山田洋次監督のものであると同時に主演の寅さんこと、香具師の車寅次郎のものであり、彼こそ日本中の映画ファンの共感と憧憬を勝ち得てきた、日本人のいわば原型ともいうべき愛すべきパーソナリティに満ち溢れています。 寅さんを演じる渥美清は、山田洋次監督をして「あれぐらい繊細で、人の気持ちがよくわかって、優しくて、同時にクールで、洗練された人っていうのは、ちょっといないでしょう」と言わしめ、"寅さんか渥美清か"という凄い存在になっていきます。 しかし、この寅さんという役とのあまりの一体感のため、その後の渥美清という役者のイメージが固定化し、その他の様々な役柄を演じる事が出来なくなったのは、彼にとってある意味、不幸でもありました。 この寅さんと表裏一体の関係で、この映画に欠かせないのが妹さくらの存在で、"倍賞千恵子かさくらか"と本人も気づかないくらい、さくらという役になり切って見事です。 山田洋次監督がこのシリーズで本当に描きたいのは、寅さんよりも、むしろこのさくらという女性ではないかとさえ思えてきます。 このような心の優しい、気のきいた女性こそ本当の日本女性の理想像のような気がします。 山田洋次監督も、この寅さんとさくらの二人と、それを取り巻く柴又・帝釈天界隈の人々の人情を通して、日本人論をパロディ的な世界の中で描いているのだと思います。 今回鑑賞しましたシリーズ15作目の「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」は11作目の「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」の続編ともいうべきもので、マドンナ役が11作目に続いて、ドサ回りの放浪の歌手リリーを演じる浅丘ルリ子で、美しいがために不幸で気の強い、しかし心優しき女の哀しみを彼女は、その表情のひとつひとつ、所作のひとつひとつで実に繊細に尚且つ味わい深く表現していて、まさに惚れ惚れするような名演技です。 彼女はその後も25作目の「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」、シリーズ最終作となる48作目の「男はつらいよ 寅次郎紅の花」にもリリー役で出演しています。 シリーズ中、たくさんの女優によって様々なマドンナが登場しましたが、堅気の女性ではなく、いわば寅次郎と似たような境遇で人生の苦しさ、悲しさも知り尽くし、相思相愛の間柄になるリリーこそが最高の真のマドンナだと私は思います。 山田洋次監督もこの「男はつらいよ 寅次郎相合い傘」がシリーズ全48作中、最も好きな映画だと語っていて、マドンナ役の浅丘ルリ子についてもシリーズ中のマドンナ役としては最も思い入れがあると語っています。 また、彼女についても「勘が素晴らしく良くて、切れ味がいいんですねえ。芝居もスピーディだし」と絶賛しています。またマドンナという存在について「寅が絶対に魅力を感じない女性はいるんです。それは向上することを求めない女性、より真実な生き方についてまじめに考えようとしない女性、おしゃれや快楽のみに身をやつしている女性です」とも語っていて、これは勿論、山田洋次監督自身の女性観でもあり、失恋する事もなく、変わる事のない本当のマドンナこそ、監督の中では、実は"さくら"なんだと思います。 この映画で印象的なエピソードとして、大会社のエリート社員で蒸発した男を演じる船越英二が、下町に対する山の手、ドロップアウトに対する常識人という対比の構図で出てくるところが、このシリーズ中で今迄にない批判的な色彩を帯びていて興味深いと感じました。 そして寅さんとリリーとエリート社員の三人が共に旅する小樽でのシーンが情緒たっぷりな演出で、映画の素晴らしさを堪能させてくれました。 ある日、ふらりと柴又の寅屋の店先に舞い戻り、有名なメロンにまつわる騒動の末、やがて再び、ひとり漂泊の旅に出て行く寅さんの後ろ姿には"人生、これ過客の如し"という刹那的な哀歓が込められていて、このシリーズの重要な核になっているシーンだと思います。 この映画の寅さんがひとり海辺にいて、画面一杯に広がる青海原を眺めるラスト近くのシーン、そして、それを笑いのミニ・バスに切り替えてのエンドという演出は、このシリーズが意味するものを象徴的に暗示している優れたシーンとしていつまでも心の奥底に深く残る、素晴らしいラストシーンだったと思います。 なお、この映画で浅丘ルリ子は第30回毎日映画コンクールの最優秀主演女優賞、第18回ブルーリボン賞の最優秀主演女優賞、キネマ旬報の最優秀主演女優賞を受賞とその年の賞をほとんど受賞するなど、絶賛されました。 また、倍賞千恵子も同ブルーリボン賞の最優秀助演女優賞を受賞しています。
ボルビザン
4.0
犯罪は犯さないけど職業不定でヤクザ気取りのおっさんってヤバイよね。
いやよセブン
3.5
歌手のリリー(浅丘ルリ子)2回目の登場で、寅さんは最適な相手と結ばれるのか。 親の七光り重役(船越英二)が家出、北海道で寅さんとリリーとともに旅を続ける。 シリーズ屈指の"メロン事件"もこの作品だ。 寅さんの意気地なし。
tana-hiro
4.0
リリーさんとの絡む2作目の作品。 最初の忘れな草と続いて見るとわかりやすい。 有名なメロン騒動はこの作品だったのかと思い返すし、リリーさんのプロポーズを聞き流してしまう寅さん残念。 それにしても、コロナ禍で寅さんシリーズの名作を一挙に見られる幸せ!
ひでP
3.5
2025年01月18日BS171BSテレ東。 シリーズの第15作。 マドンナに「寅次郎忘れな草」(第11作)の浅丘ルリ子が再出演。 寅次郎とリリーの結婚話で“とらや”の面々が振り回される。 全国を旅して回るフーテンの寅。 東北のとある田舎町で会社も家族も捨て蒸発した変わった中年男と出会う。 心配した寅は男の家族と連絡をとりつつ、二人旅へ。 そんなある日、函館で寅は偶然リリーと2年ぶりの再会をする。 ドサ回りの歌手に戻ったリリーを加えた3人は楽しい旅を続けるが。
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