The Turin Horse
A torinói ló
2011 · Drama · Hungary, Germany, United States, Switzerland, France
2h 35m
©︎2011 T.T.Film, MPM Film, Vega Film, zero fiction



A monumental windstorm and an abused horse's refusal to work or eat signal the beginning of the end for a poor farmer and his daughter.
笑いと推理が交差する、時代ミステリー
「唐人街探偵1900」都度課金開始✨
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kao_matsu
4.5
上映から7年間、ずっと気になっていたものの、観るのを後回しにしていた作品をようやく鑑賞。1889年、イタリアのトリノの広場で鞭打たれる馬を見て、精神を病んでしまった哲学者フリードリッヒ・ニーチェの逸話に着想を得たタル・ベーラ監督が、自ら「最後の作品」と語る、終末的黙示録。荒涼とした原野に住む父と娘、そして馬の、終末までの最後の6日間の日常生活が淡々と、恐ろしいくらい克明に描かれている。 ◆ この映画の日常描写の克明さは、劇映画としては唯一無二レベル。例えば、右手が不自由な父の服や靴を娘が脱がせ、部屋着に着せ替えるシーンを、6日間それぞれワンショットでやっている。はたまた、引っ越そうと馬車の荷台に荷物を全部詰め込んで出発したものの、途中で断念して引き返し、荷台の荷物を一つひとつ降ろし終わるまで、これも全部ワンショット。朝、娘は起きると必ず井戸へ水を汲みに行くのだが、静かな部屋のドアを開けると一転して嵐が吹きすさぶ荒野となり、カメラもその後をやはりワンショットで追っていく。その力強い“静”と“騒”のダイナミズムは、ちょっと言葉にならない。食べ物は毎日ジャガイモのみ。父は左手でイモを叩きつぶし、塩をかけて食べるが、娘は手でちぎって、何もかけずに食べる。二人に言葉はない。そんな日常生活が6日間繰り返されるだけの話なのだが、まったく同じ日常の繰り返しではなく、カメラアングルや角度、テーブルに座って向き合う父娘の左右の位置など、その微細な変化と共に一日ごと生命力が漸減していき、生活の術を徐々に失っていくのだ。来たるべき終末に向けて…。 ◆ 健康で余命が長い人間にとっては、自身の身体の衰えを感じたり、死期が近づいていることを実感する機会は少ない。けれど、厳密に言えば、昨日に比べて今日のほうが、筋肉や脳機能は気付かないレベルで衰えているかもしれないし、それこそが、生まれた瞬間から死へと向かう人間の避けられない宿命だ。そこまで考えさせるこの映画は、やはり深い。いつだったか、タル・ベーラ監督のインタビュー記事を読んだことがあるが、この作品にはメタファーや寓意、逆説的要素は全くなくて、終末を生きる父娘の日常そのままを描いたと語っていた。そして一切のセンチメンタリズムを嫌い、徹底的にその要素を排除したとも。なるほど、その冷徹な世界観は見事に貫かれている。ちなみに、この映画を観始めてから即座に連想したのが、敬愛する新藤兼人監督による1960年の傑作『裸の島』だ。生活の営みをほぼセリフなしで描くところはとても似ているけれど、“生”に向けた『裸の島』と、ひたすら“死”へと向かう本作との対比が、とても興味深い。芸術云々ではなく、命の尊厳を謳う両作品には、底知れぬ深遠さと力強さがある。
ざべす
4.0
息苦しい映画だ。 ボロ屋で暮らすくたびれた馬や爺や娘。 強く風が吹く終末の6日間。 行き止まりなのに特別なことは何もない。無味乾燥な日常を繰り返す週末。 この「なにもない(マジでなんも起こんない)」2時間35分の映画にこれだけの高評価がつくって、人間ってスゴイなと。 見る手が想像することで芳しくなる空白の余地がこの上なく素晴らしい映画なんだけど(見たすぐより、時間を置いてこの映画を思い浮かべたときによ り噛み広がる気がする)、わりとそれだけだぜ?!って観賞後すぐは不思議だったけど 時間が経ってなんでか分かってきた。 映画から感受するのが思考だけじゃないんよね。 思考や思想だけなら、もうちょっと好き人口が狭くなっていたと思う。 この映画がすごいのは、五感で受け取らされるからもあるんよね。 轟々と風が吹きつける。 砂埃が舞い上がり顔や身体に打ちつける。 アッチアチのイモ。 ボソボソして食えたもんじゃないイモ。 干上がる水。 一から十まで馬の様子。 耳の横で吹く音や口の中が乾くまで、スンバラしい映像から強制共感させられる巧さにある!! ということで、映像化でしか引き出せないものが出たという意義としては100点満点だと思う! けどこの息苦しさ(息苦しさはまんま生き苦しさだ)が面白いかと言われると「全く!」と宣言してしまいそう。 そして「見てよかったか?」の質問には、「またこの映画を見ようと思う!」と答えたくなる不思議な魅力を持った映画だ。
Schindler's Memo
0.5
キネマ旬報もやはりカンヌ化してしまったということであろう。 2007年の「長江哀歌」の時に、嫌な予感がした。その後はまともな映画に1位を与えていたにもかかわらず、もはや一般の映画ファンと乖離したところに飛んでいった感がある。 この映画、この平成日本において、「映画評論家」以外のどのくらいの人間に共鳴を与えることが出来たのだろうか? ニーチェを謳っていることからして西洋哲学、すなわちキリスト教的な「神」との関わりと切り離して考えることなど無意味であり、その視点から観てみれば何も特別なものではない。 「農夫」らしい父と娘の家族であるが、これらは人間として最低水準の生活をしている。まさに水とじゃがいもと衣類と住居だけの生活であり、これに家畜兼生活道具として馬がいる。この家族にとって、「外界」はすなわち苦しみであり、それを象徴する狂風が吹き荒れていて、そこからさらに「毒」の誘惑が来る。「富」の象徴である客人(指輪とコイン)は、無味乾燥な哲学論を述べ、「享楽」の象徴である馬車一団は、世紀末的で絶望的な文言を載せた書物を置いて行く。 そして、「水」が切れ住居を後にしようとするが、恐らくさらに悪化した外界を見てそれをも停止し、やがて「光」や「火」をも、「自然」から奪われる。「神は死んだ」ということなのではないか?だとしたら安易ではあるが・・。 まさに、絶望しか残らない寓話である。寓話であるが故に、じゃがいもしか摂取していないのに父も娘も、そして馬も結構肥えていてもおかしく無いのだ。 映画の本分である「カット割り」など、もはや忘却したかのような「病的」な長回しと、恐らく8小節だけで構成された弦楽による音楽だけで2時間半を持たせたことが逆に驚愕である。 このような映画を観るにつけ、八百万の神に包まれた日本人に生まれて幸せだと思う。
zoeze
4.5
強風吹き荒れる中、延々と馬を引く最初のカットから、際限ない虚無感に包まれながらもそのペースに引き込まれ、不思議と見入ってしまう力のある画が続く。 水は枯れ、火も潰え、手の中に残るはじゃがいも。全くもって劇的でなんかないリアルな終わりを前に、反復されてきた音だけがいつまでも鳴り響く。
3.2.1.0
3.5
This may contain spoiler!!
柘榴(ざくろ)
4.0
詩の様な映画。飯を食わなくなった馬。劇中盤に現れる男の示唆的な台詞。そして、父と娘の顛末。観るに値する。
ケロンボ
114
WatchaPedia
2.0
わかったフリして評価しておけば映画通ぶれる映画1位
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