Blade Runner
Blade Runner
1982 · SF/Action/Drama · United States
1h 57m



In the smog-choked dystopian Los Angeles of 2019, blade runner Rick Deckard is called out of retirement to terminate a quartet of replicants who have escaped to Earth seeking their creator for a way to extend their short life spans.
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Till
5.0
後のSF映画に多大な影響を与えた巨匠リドリー・スコットの代表作。 興行的には失敗したものの、後にコアなファンからカルト的な支持を受け、今となってはSF映画の金字塔とまで称される名作だが、正直自分も初めて観たときはこの映画の良さが分からなかった。序盤はテンポが悪く、画面もずっと暗いので、とにかく睡魔に襲われた。というか寝た。それもそのはず、本作は一度ですべてを自分の中に落とし込めるような単純な作品ではなく、複数回視聴することで徐々に真意が見えてくるタイプのスルメ映画なのである。 ただ、そんな自分でも初見から感動した部分もある。それは、やはりこの圧倒的な映像美。間違いなく舞台は近未来(2019年だけど)なのだが、どこか退廃的で陰鬱な雰囲気が漂っている。歌舞伎町をモチーフにしたという都市風景も斬新で、そして何より美しい。この唯一無二の世界観に浸るだけでも十分に価値がある。 肝心のストーリーも非常にシンプル。しかし、その背後には「人間とは何か?」という哲学的な問いかけが含まれている。ロイ・バッティをはじめとするレプリカントたちは、確かに残酷な面もあるのだが、その一方で、ただ「生きたい」という一途な願望を抱えている。奴隷として過酷な生活を強いられ、たった4年という僅かな寿命しか与えられなかった彼らは、その分【生】に対する執着心が強い。そんな彼らとは対称的に、人間である(?)主人公のデッカードは淡々とレプリカントを処分(殺害)していく。【生】を渇望するレプリカントと【死】の制裁を加える人間。どちらが本当の「人間」なのだろうか?「人間らしさ」とは一体何なのか?この映画は、そんな深いテーマにまで踏み込んでいるのだ。 それと同時に、本作は、ロイ・バッティとデッカードが互いに「アンドロイド的」な存在から「人間的」な存在へと成長する物語でもある。ロイ・バッティは自分(たち)の【生】に執着するあまり、他人の【生】には目もくれず、人を簡単に殺害してしまう。この時点では、彼もまだアンドロイドに過ぎない。しかし、自分の寿命を変えられないことを理解し、死を悟った彼は、ラストでデッカードに対して「ある行動」をとる。そこで、彼は初めて「人間的」な存在になったのではないだろうか。対するデッカードも、標的となるレプリカントを躊躇なく殺害してしまう、極めてアンドロイド的な人物であった。そんな無慈悲な彼も、レプリカントであるレイチェルと出会い、【愛】を育むことで徐々に意識が変わっていき、そして、ロイ・バッティの最後の行動によって完全に心を動かされたのだろう。そこで、ようやく彼も「人間的」な存在になったのだ。その後の彼の「決断」からもそれは汲み取れる。 原作であるフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』も実際に読んでみたのだが、かなり改変されている箇所が多かった、というかほぼ別物に近い。そもそも「ブレードランナー」や「レプリカント」なんて単語は一切登場せず、前者は「バウンティ・ハンター(賞金稼ぎ)」、後者はそのまま「アンドロイド」もしくは「アンディー」という呼び方をされている。その他、登場人物、ストーリー展開、結末など大きく変えられており、特にロイ・バッティ(原作ではロイ・ベイティー)のあの名シーンがないのには驚いた。しかし、それぞれのアプローチの仕方は違えど、「人間らしさ」を問う本質的な部分は同じ。原作者のディックは「人間らしさとは?」という問いに対して「それは自分がどれだけ親切であるかどうかだ」と回答している。これはまさに当を得ていると思う。彼にとっては、体が人間であろうとアンドロイドであろうとそんな生物学的なことはどうでもいい。ただ「親切」であればそれは人間であり、それ以外は人間ではない。「目の前にいる瀕死の人間(生命)を助けたい」「愛する人を守りたい」そんな親切心を持つ者こそが本当の「人間」と言えるのだ。これはまさに『ブレードランナー』が言いたかったことではないだろうか。ディックの考えを自分なりに解釈し、圧倒的な映像美と共により映画的に昇華させたリドリー・スコットの功績はやはり大きい。 ただ、一つ不満もある。それはリドリー・スコット自身がデッカードをレプリカントだと断言してしまっていること。これはよくなかったと思う。デッカードがもしレプリカントなら、「人間」と「アンドロイド」という二項対立が成り立たなくなってしまうのではないか。ここは明言を避け、どちらでも解釈できる程度でとどめておいてほしかった。 とまあ、ここまで長々と文章を書きましたが、これもただの個人的見解に過ぎないです。それくらいこの映画は、複雑で、重層的で、考察しがいのある奥深い作品なのです。
レモン谷
3.5
ストーリーよりも着想とか、世界観を鑑賞する作品。 これは2021年に初めて見たため、あと付け的な感想かもしれない。 攻殻機動隊はブレードランナーの世界観をベースに、本作の日本中国のごちゃまぜ感を整理した感じってことか?
about movie
3.0
原題は、アンドロイドは電気羊の夢を見るのか。なんて詩的なタイトルだろう。 原作曰く、生の動物は大変高価で、富裕層の象徴。中間層はせめて電気羊でもいいからと、手に入れたいもの。 子供が欲しいものを夢に見るように、機械も夢を見ることがあるのだろうか。そして夢を見た時、彼らと人で何を違うことがあるのか。 レプリカントは寿命の短い奴隷で、人のようになりたいと切望する。デッカードを助けたときのように、映画内でひたすら人としてあり続けようとする様が切ない。 人と、限りなく人に近づいた機械の境界線。そして、人になれなかった彼らの物語は世界観と共に美しさがにじみ出ている。
隣の唐十郎
5.0
生涯の当たり役、レプリカント ネクサス6型 ロイ・バッティを演じたルドガー・ハウアー氏が、奇しくも映画の舞台2019年に死去された。 リバイバル上映を観ながら失禁(涙)しました。 命とは何か?人造人間の悲しみは生きとし生けるもの全ての輝きを意味します。 全てはいつか消えゆく。涙のように、雨のように。
keeper19
4.0
35年前の映画です。35年前にこれほどの世界観をここまで表現できる…ものなのか!?安い表現になってまいますが、天才の作品です。
ツナ子
5.0
オリジナル劇場版。何がびっくりって、舞台が2019年(今年)。 原作が大好きだけど、映画版も良い!! こんなに詩的になるなんて。 ラストが美しすぎる! 「どこから来て どこへ行くのか。 残された時間は?」 最初に見たときは、クライマックスのデッカードとバッティの対決が長く感じられたけど、ラストを観たらその時間をも愛しい。
みゆ
3.0
過去鑑賞記録。 今見ると特に何がスゴイ!と思う事もないけど、 当時はかなり革新的で斬新で、後にカルト的人気を誇る作品になったと言うのも頷ける作品でした。 近未来な街並みに溢れる虚無的で退廃的なムード、奇抜で個性的な装いの人々などストーリーのみならず視覚的にも刺激的で面白い。 少々粗暴な役柄なハリソン・フォードも男臭くて素敵だし。 人の形をしながら、人としてけして認められないレプリカントが自らの存在意義を求めるという壮大で切ないテーマである事も良かったと思う。
眠る山猫屋
4.5
リバイバルで何回も観たな~。 酸性雨降りしきるロスアンジェルスが忘れ難い。
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