
星ゆたか

ベルリン・天使の詩
平均 3.5
2024.6.8 2015.6.15.WOWWOW放送録画ディスク再見。 『100人の映画通が選んだ“発掘良品”』枠。 犬童一心×斎藤工.前後解説付き。 初見は1989.11.28.LDソフトを買い求めて。 その年の私の鑑賞映画ベストワンに。 難解な映画だけれど、85年のヴィム・ヴェンダース監督の「パリ、テキサス」のヒットで。 ミニシアター(日比谷シャンテシネ2)で見るのがオシャレで流行となり。 30週の当時の超ロングヒット公開記録を打ち立てた作品。 中年天使の目に映る、まだ東西の壁崩壊前の当時のベルリン(道路事情や建設途中の土地等)と。 敗戦後間もなくの独国報道映像も白黒で挟み編集されている。 ブルーノ・ガンツ演じる中年天使が。 ソルベイク・ドマルタンのサーカス曲芸師(空中ブランコ)に恋する(天使から地上人間になる)後半の終わりの所でカラー映像になる。 またピーター・フォークが“刑事コロンボ”そのものの名称で〔撮影中〕の取り組みで出演。しかし途中、彼も“天使からの変更組”の一人である事の種明かしがある。 その辺が何の違和感なく映画に編入されているのはサスガ(しかも街頭ですれ違う若者に『あれっ、今のコロンボ? あっ違うか、コートがもっとヨレヨレか』などと言わしめているサービス付き)。 この“天使”の存在は、彼ら同士しか見えない設定だけれども。 一人の特に主人公と親しい天使の他は。 とても🔅照明器具“ひかり”✨の数の多い〔図書館〕に複数人見られる。 図書本を熱心に読む人間に、そっと“寄り添う”ように。 天使達がたたずむ。 ここには、〔図書館〕という存在の意義。 〈言葉.歴史.伝統.継続.文化〉などの意味合いが場所設定に込められているのではないかと思う。 それは同時に“コロンボ風の人物”を含む戦時下のベルリン再現映画撮影中の。 《映画》そのものへの意味合いと通じるものがある。 〈映画と天使〉の繋がりは。 天使達が行き交う人達の〈心のつぶやき〉を、それぞれ〈聴いていく〉動きと平行し。 そして特にその中で人生に悩む人達には、肉体に“降れるが如く”寄り添い”少しでも、彼らの背負う“重み”を軽減させてあげようとする。 しかし、それが叶わず、ビルから見投げする若者を。 周囲の人達が懸命に止める様子を見せつつも、叶わず自殺決行された後の“嘆き”の音にならない“叫び”を絶叫する。 そんな天使達と地上の人間達の営みを描いたのが本作であるが。 この中で度々天使達がささやく言葉がある。 『子供は子供だった頃、自分が子供とは知らず。全てに魂があり、魂は一つだと思った。いつも不思議だった。何故、僕は僕で君ではないんだ。何故僕はここにいて、そこにはいない。時の始まりはいつ?宇宙の果てはどこ? この世で生きるのは、ただの夢。見るもの、聞くもの、嗅ぐもの、この世の前の幻。悪があるって本当?。いったいどんなだった?僕が僕になる前は。僕が僕でなくなった後は、いったい何になる?』 でも天使だって天使であることはつらい、人間になりたいとも語らせる。 それは永却の時に漂うよりも自分の重さを感じたい、歩くごと、風が吹くごとに。 この辺は人間讃歌、自然讃歌としての“天使の詩”であり。 失意の人を勇気づけたり、事故で瀕死の人の心に口うつしで言わせたりする。 そして図書館で老詩人の呟きに耳を傾ける。 『語りべを失うという事は、人類の子供時代が無くなるということだ』 この語りべとは映画作者の事であり、ラストクレジットにある。 ヴェンダース監督の敬愛する 『かっての天使、小津安二郎、フランソワ・トリュフォー、アンドレイ・タルコフスキーに捧げる』の言葉が意味する。 また天使達の地上人間達との不思議な距離感は。 当時10年ぶりにアメリカから帰還し撮ったヴィム・ヴェンダース監督のそれであり。 高沢詠一氏は『彼がアメリカ滞在から得たものは。人生に対する楽観主義であり、元天使のピーター・フォークこそそのシンボル。その開き直りこそ、彼を祖国に向き合わせるきっかけになったのではあるまいか』と語っている。