
星ゆたか

初恋のきた道
平均 3.4
2024.10.22 この作品は2000年のキネマ旬報の外国映画ベスト4位で。 3位は(3点差)同じチャン·イーモウ監督の「あの子を探して」と。 1人の監督の作品が2本選ばれている稀有な年であった。 評論家·映画関係ジャーナリスト62名による選出である。 私的にはこの「初恋のきた道」が1位。 2位に同誌と同じ「オールアバウトマイマザー」。 そして「あの子を探して」が3位で。 4位に「ヤンヤン夏の思い出」(同誌15位)。 5位に「サイダーハウスルール」(同誌11位)と続く。 (「リトルダンサー」「山の郵便配達」は翌年の私の1位2位) ちなみに同誌1位は「スペースカウボーイ」。 私はクリント·イーストウッド監督作品としては好きな評価が低くて15位になってた。 さて本作である。 中国の片田舎のこの作品は1957年頃の両親の若い頃(父20歳母18歳)をその約40年後に回帰する物語である。 撮影は北京から230キロの河北省の高原を中心に行われ。 4季の特に秋の紅葉🍁と冬の厳しい雪🏔️の。 美しさ·厳しさの中で繰り広げられる初恋の成就は正に見ものでありました。 自然と人間の愛の営みの過去をカラーで。 そして父親の死の連絡で駆けつけた息子と母親の現在、1980年後半が白黒で撮られている。 その40年前の片田舎の分校の教師に派遣されてやってきた父親と母親の。 涙ぐましい“初恋”が成就されるまでの様子を。 チャン·ツィイー(当時19歳)のいじらしい·健気で一途な恋焦がれる想いの中での行為が。 あまりにも切なくて圧倒的感動を呼ぶんですが。 当時中国は自由恋愛ご法度の時代で。 しかも折角言葉を掛け合いあえるようになったら。 文化革命のあおりで半年合えなくなり。 それでもひたすら待ち続け、吹雪の中想いを告げようと家を出て途中で倒れ。村人に助けられた。 その状況を彼に伝えたら、無許可で2日ほど無理矢理帰ってきて彼は、彼女を元気ずけたが。 その後再び2年もまた引き離されてしまい。 そしてやっと嫁ぎあえるという経過を踏む話である。 チャン·イ~モー監督(1951.4.14生)は87年「紅いコーリャン」でデビュー。 当初は海外の評価は高いが。 物語の内容などで中国政府の受けは良くなかった(1989年[天安門事件]以降悪化)ようで。 92年の「秋菊の物語」(小作人の現実主義的ドラマ)あたりから、中国映画のスポークスマン的立場になったと言われる。 この作品で、中国の若者には自由恋愛(以前は両親や媒酌人の推薦で決まり学生の恋愛は退学処分)気運が受けたが。 欧米では男性依存の女性の生き方が。 逆に“反政府的要素”として評価された。 しかし、その事は監督の真意でなく、折角政府との関係も上向きになってきた頃なので。そのような扱いは困ると。 カンヌ映画祭への出品を取り止めたという経緯があったそう。 監督の本作への想いは。 『両親の恋の成就の一途さ·一貫性。』 『自然と人間の愛の営み』 『初志貫徹·夫婦付随』 『生涯かけての初恋成就』 等にあったのだ。 更に時は流れ、令和の日本などでは。 『未婚·離婚·再婚·実子·養子など。多様な人間関係の中で柔軟に生きる事が評価される方向性にある』と言われ。 このような作品が果たして。 今後どのような印象を、持たれるのであろうか。 映画は最初、母親は街へ校舎再建の申請に行った先で、心臓麻痺で亡くなった夫を。 担いで峠の道を見せながら葬儀を迎える昔ながらの言い伝えの儀式をしたいと、頑なに主張する話で始まる。 ただ今は若者も街や他の地方に出向いて。 村には年寄りと子供しかいないから、それは無理だと村長も話す。 それでも説得にも、頑なに効かない母親の想いを息子は汲み取って。 人を雇って何とか実現と村長に頼む。 すると儀式どうりだと、金が係ると。 人を交替で50人ほど、その接待や何やらで。 四千元ほど必要と言われ。 息子は取り敢えず五千元を渡し依頼する。 当日はかなりの量の雪の舞う中、母親と息子も担がれた⚰️棺の側に寄り添い歩行で進む。 ただ担ぎ手は、父親(40年間教師)の死を知って集まった 全て教え子だった。 男女合わせて100人で、無論報酬はいらないと言う。 そこで村長は預かったお金を息子に返した。 この雪中行進の様子は。 何故か、あの「素晴らしき哉、人生」(フランク·キャプラ監督46年)の最後を彷彿させられた。 つまり人間困った時には。 それまでその人が過去にやった善意や功徳が、助けの果報を集めるという事だ。 キャプラの映画では自殺まで考えた主人公の究極の金策に、町の住民がこれまで色々世話になったからと。 金を寄付する事で解決する内容だった。 その後葬儀が無事終わり。 お墓は学校の見える井戸水場に設置された。 そして校舎再建に村でも動き出す計画と言う村長に。 母親は長年貯めたお金を。 息子は担ぎ用に用意して返されたあの金を添えて。 『是非いい校舎を建てて下さい』と言い伝える。 ともかくこの映画、チャン·ツィイーの愛くるしさが。 まだ言葉もまともに交わしてない頃の過去の描写が愛しくてたまらない。 それは、彼の帰りの道(遠くから通う生徒を家まで一緒に付き添う)をひたすら丘の上から待ちわびる光景とか。 または彼を待つ間、校舎の窓の紙の張り替えの所のきり絵を添えた所。 更に彼が彼女の最初に会った時みた紅い服に合うと買ってくれた髪留めを。 彼が連れられ戻っていくのを走り追いかけ途中で落としてしまい。その後何日も走った道を探し、結局家の出口の近くに落ちていて喜ぶ所なんて涙ぐましいの一言。 そう、あるいは最初の40年前の村人達との校舎建築の際の昼食の用意の所で。 誰が食べるか分からないのに、せっせと懸命に作り。 出来れば“あの人”に食べて欲しいと。 台の置き位置を考えたりする女心のいじらしさは絶品❗️。 だから後年の老いた母親の頑固偏屈の所には、息子も村人も。そして観客の私も呆れるのだけれど。 この若い頃の娘の一途な、そして愛くるしい想いを顧みると。 それも仕方ないかと想わざるえない。