
星ゆたか

ヤンヤン 夏の想い出
平均 3.6
2025.5.20 「エドワード·ヤンの恋愛時代」(94)「クーリンチエ少年殺人事件」(91)と続き。 やはり一番🍀😌大好きな「ヤンヤン夏の想い出」(00)は書いておかないと再鑑賞しました。 ちょうど2025年5月、今年のカンヌ国際映画祭で4Kレストア版が御披露目になり。 順次日本でも再公開(日時未定)が予定だそうでのタイミング。 近年米THRの批評家が選ぶ《21世紀の映画ベスト50》の第1位に本作が輝いたとの情報も。 エドワード·ヤン(1947.11.6~2007.6.29)監督に多大な影響を受けたと自負する濱口竜介監督(1978.12.16~)がコメントを。 『…この映画をとうしてヤンが未来の世代に託した事は。受け継がれるのは、歴史的な破壊で生じた絶望のトラウマだけじゃなく、そこから這い出す方法、シンプルな“希望”です。それは世界はまだ愛するに値するから…』 この作品制作頃からヤン監督は癌闘病生活が始まり、残念ながら遺作となりました。 ですから本作は、内容がある五人家族の祖母が脳卒中で意識不明の寝たきり生活になり。 両親や姉弟の意識にも“死生観”を含む心理状態の変化が観られる作劇で。 それはエドワード·ヤン監督の想いも込められていると見えました。 物語の終盤に、娘の隣室の友達の彼氏が引き起こす事件は。 まるで「クーリンチエ少年殺人事件」(91)の少年の“危うさ”を継承するかの如くの“絶望さ”であるが。 明らかに違うのは。 幼いヤンが祖母の葬儀の別れの挨拶(弔辞)に。 ノートに書いた言葉を読みあげる場面を設けた所だ。 『おばぁちゃん、ごめんなさい。眠っている時に言葉を掛けられなくて…ぼくは大きくなったら、人の知らない事を教えてあげたり、見た事のないものを見せる人になりたいです。きっと毎日楽しいと思うよ。そしたらおばぁちゃんがいった場所をサガスね。もし見つけたら、みんなと一緒に訪ねていってもいい?とっても今あいたいよ…』 第二次世界大戦後、アジアの都市生活に西洋化の波が押し寄せ。 物質的精神的な豊かさと同時に人間の心の芯の軸が、歪められてきた面も否定出来ません。 この作品では父親の、いかにも今日的な、俗物人間(家族ぐるみ公認のパートナーがいるにも関わらず別の女性を妊娠させたので)の義弟の結婚式から始まります。 そして間もなく祖母の病気に対応(意識の無い人に毎日何を話し掛ければいい?)する中。 母は疲弊し新興宗教の修練の道に家出してしまいます。 父は、そんな中、20数年ぶりに恋人と再会し。互いに想い残した心奥を、仕事から❲日本地で❳抱擁する事に。 ロケに東京のビル街や熱海の海辺で撮っていますが。 中でも古式ゆかりの神社の参道や石階段、木洩れ日の中で、若かりし頃の恋愛を中年の男女が語り合う場面がとてもいいです。 娘は祖母の病の発症に責任を感じ(自分がゴミ出しを忘れたから)眠れぬ中、マンション隣室に越してきた奔放な女友達と彼に翻弄される事に。 この隣の娘(管弦楽器の名手)も自由奔放なら、母親も娘の教師と関係。 更に劇的展開を迎える原因に。娘の彼氏は母親とも関係してたと。いやはや、やりたい放題⁉️ 幼い息子ヤンヤンは、そんな周りの年上人の日常の言動を。 カメラの一瞬に捉えようとする。 そこでの父との問答が、面白い。 父に向かい『お互い何が見えるか分からないとしたら、どうやってそれを教えあうの?真実の半分だけ?、だから、前ばかりから撮らないで、人は、後ろからは見えないから写すの』と。 彼は背後からの写真ばかり、撮って。担任の教師に『前衛的芸術』と皮肉られる。 父親はIT企業関連(デザイナー)の日本人、大田(イッセイ尾形さん初海外作品、父親役のウー·ニエンジェンさんと同じ52年生)に。 日·中·国古来の誠実さを観る。 東京で初恋の相手といい時間をと、仕事より優先発言をしてくれ。 また彼の♠️トランプ手品も楽しい。 ここでの、父親が素直に感心する所は、単に個人の趣味の名人芸域にとどまらず、ヤン監督の日本映画人(小津、黒澤、溝口?)への敬意みたいなものすら感じる。 こうして本作に登場する人物を見渡して観ると。 西洋化した物質主義に、欲望むき出しに、踊らされた周囲の人間よりも。 祖母の慈愛、両親の分別、姉の慎み深い思考、弟のやんちゃだが、今に懸命な姿。 彼らの精神的な絶望から這い出す方法は、『良心』とする見解を見出だした、この一家の面々に。 目指すべき未来の生き方の核がある、希望があると感じた。 最後に2000年公開時のエドワード·ヤン監督のメッセージ。 『人生で起こるいくつかの事は、数学の1+2と同じくらいとても簡単。私はかつて1980年仏·紙の問い『あなたは何故映画を撮る?』に。 『多くを語らなくてすむから』 映画監督が語る最高の言葉とは。映画の表面でなく、内側に存在するもののはじだ。 『私は観客にまるでただの友達と一緒にいたかのような気分を味わってほしい』