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レビュー
horahuki
5 years ago
サマー・オブ・84
映画 · 2018
3.5
殺人鬼だって誰かの隣人!! 監督がインタビューで語ってるところによると、本作が舞台とする80年代初頭は都市部が暴力的で高価になり、多くの家族が郊外に移転した時期。それに伴い犯罪は都市の外や郊外に行き始めた。子どもの行方不明事件や郊外に殺人鬼がうろついているといったニュースが良く報道されていたようです。 作中で何度も語られる「殺人鬼だって誰かの隣人」だという言葉の通り、郊外という一見平和で安全に見える場所で笑顔で挨拶してくれる近所の住人たちが、家の中では何をしているかわからない。そんな潜在的な恐怖を転換期のアメリカの郊外を舞台に、恋に遊びに冒険に、楽しさで溢れた夏休み中のキッズたち特有の万能感に似た感情が、決して後戻りできない暗闇へと足を踏み入れることへの自覚というか危険信号的なものに対して盲目にさせ、ブレーキを効かなくする。 覗き見という行為から初恋と殺人事件という両極端に位置する事柄が大きく動き始めるというのは『ディスタービア』に近いし、覗くという行為が潜在的に孕んでる向こう側への憧れというものを現状からの進歩を求める心として描いた『ディスタービア』に対し、本作ではそれが思春期の子ども(子どもでなくてもだけど…)が惹かれるエロと残虐という非日常感や大人っぽさへの憧れと直結するわけで、覗くものは覗かれてるという使い古された言葉のように、自らが望む心が深淵を引き寄せてしまうという結果との対比が虚しさを際立たせている。 一度心の中に湧き上がった考えは、自身が望む方向性に沿うように全ての事象を当てはめ補強していってしまうわけで、そんな危うさを纏いながら、同じく危うさしかない子ども特有の万能感・好奇心が突き進んでいく物語は、大人の理性的かつ合理的な言葉という壁に太刀打ちができない。そういった物語の要所要所での冷めたり沸騰したりといった「温度」コントロールが非常に優れている作品だと感じました。 本質的ではないにしろ分岐せざるを得ないレールと、期待した華々しい「英雄」との相反は『スタンド・バイ・ミー』を思い出してしまうし、『スーパーエイト』を想起させるような、外面に隠された真相を探ろうとする中で生じていく「隔たり」がそのまま分岐のレールへと繋がっていくというオマージュ同士の相関関係も面白い。 本作が参考にしているであろうジュブナイル作品群に出てくるキッズの多くが冒険を通して克服してきた事柄を逆手にとって、子どもがどれだけ必死になって行動したとしても、当然「夏」は終わるし、現実は現実としてその強固さを崩すことなく存在し続けるのだという、一夏の冒険という言葉のマヤカシへのカウンターのような発想はズルいな〜と思いつつも、これ以上になく効果的に、他作品に埋もれることのない本作の存在感を際立たせているわけだし、『E.T.』や『グーニーズ』が絶対的存在として君臨し続けるからこそ本作は輝くのだな〜と思いました。
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