レビュー
dreamer

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4 years ago

4.5


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グリーン・デスティニー

映画 ・ 2000

平均 3.0

登場人物の内面を現わすかのような、きめ細かな計算された情景描写。 碧名剣(グリーン・デスティニー)をめぐり、運命に引き寄せられるように絡み合う人間ドラマ。 様々な伏線が大きなうねりとなって、彼らを巻き込みラストに向う。 そして、空を駆け、鳥のように大空に舞うかのごとく、自らを解き放ったチャン・ツィイー演じるイェンの姿。 原作は、1920年代に上海の作家ワン・ドウルーが書いた4巻からなる武侠小説で、アン・リ-監督が長い間、映画化を望んでいた作品だったそうだ。 時代は19世紀初めの中国。老荘哲学(道教)が尊重され、武術の英雄たちが尊敬されていた時代。 400年前に作られ、善も悪も知り尽くした秘剣・碧名剣(グリーン・デスティニー)の使い手であるリー・ムーバイ(チョウ・ユンファ)。 そんなリーへの愛を、わが胸に深く湛えている弟子のユー・シューリン(ミシェル・ヨー)。 互いに密かに惹かれあいながらも、武術に生き、己の幸福より人々の正義に生きる二人には、まして師弟の間の愛は決して許されぬものではなかった。 剣の達人である男の中には、愛する女への愛に苦悩する姿があり、常に変わらぬ穏やかな表情を湛える女剣士の中には、男への燃えるような愛を封じ込めていた。 両極に対峙するものの間で、揺れ動き、葛藤し、引き裂かれる一つの心。 中国語の原題の「臥虎藏龍」は、「藏」は隠れるという意味。 「臥虎」とは、地面に臥している虎で、非常に強い者の喩え。 見かけ通りでないことを表す中国の古い格言をもとにしている言葉だそうだ。 善と悪という相対するものを知り尽くした碧名剣(グリーン・デスティニー)によって引き寄せられるように一つの運命に導かれた彼らも又、二つの拮抗するものの間で葛藤し、鬩ぎあいあい、翻弄される。 そんな彼らの心模様が壮大な人間ドラマとなって描き出される。そして自らを解き放つ。 常に時代に翻弄され続けた台湾に生まれ育ったアン・リーの作品に流れる一貫したテーマだろう。 こんな彼らの姿を象徴するかのように、二つの異なる愛を両極において物語は展開していく。 若い情熱でぶつかり合い、体で互いの愛を確かめ合うロー(チャン・チェン)とイェンの愛。 互いの愛を抑え、静かに向き合うリーとシューリンの愛。 この二組の男女が見せる、動と静の物語のテーマを象徴するような対極の二つの愛を映し出す情景描写も素晴らしい。 青々とした竹林が四角い窓に切り取られ、一枚の画のような風景の中で、静かに互いを語り合うリーとシューリン。 成熟した風景の中で佇む二人。 そして、岩肌がむき出しの荒涼とした砂漠の中で出会ったイェンとロー。それは殺伐としたものではなく、まだ磨き輝く前の、宝石の原石を思わせるような情景だ。 北京に赴任するイェンたち一家の乗る幌馬車が盗賊にあい、イェンは持っていた櫛を盗賊のローが奪う。 疾風の如くに馬を駆け、「櫛を返せ」と挑むようにローに槍を投げつけるイェン。 相手を組み伏せようと激しく格闘する二人の姿には、互いに気づかぬうちに激しい愛に落ちてしまった、若い恋人たちの姿を予感させる。 この映画を初めて観た時、馬上でのこのシーンは、記憶に残っていなく、今回、こんなシーンがあったのかと意外な気がしたけれど、若い二人の愛の始まりをこんな風なシーンで描いたアン・リー監督の、オーソドックスだけれど、とても新鮮さを感じる映像センスは、実に見事だ。 「櫛」が二人の愛のシンボライズされたものとして使われているのも心憎い。 貴族の家に生まれたイェンもまた、結婚も家同士の政略結婚が定められ、がんじがらめの籠の中に似た、自らの宿命に抗う激しさを持っていた。 そんなイェンに、リーの師を殺し、リーにとっては宿敵とも言えるジェイド・フォッスは、イェンの家の使用人を隠れ蓑にして、一子相伝、剣の秘伝を継承させるべくイェンに武術を教える。 イェンの可憐で純真な顔の下には、激しい情念と天賦ともいえる武術の才を持っていた。 そして、自らの継承者としてイェンに武術を教えたジェイド・フォッスも又、師を超えたイェンに対し、殺したいほどの憎しみを一方でたぎらせる。 そして、碧名剣(グリーン・デスティニー)を手離し、剣の道を捨てようとしたリーだったが、その秘剣を奪い取ったイェンに、剣士として天性のものをみた彼は、イェンを剣の奥義に導こうとする思いを募らせる。 それは又、宿敵であるジェイド・フォッスとの対決をも意味するものだった。 そしシューリンは、イェンを妹と思い、剣よりも愛が大切だと諭す。 人が蠢くところ、常につきまとう明と陰、正と負、愛と憎、正義と邪悪-------。 400年の間、人から人へ、人の世の全てを飲み込んで、今またグリーン・デスティニーをめぐって愛憎のドラマが繰り広げられる。 そんな中で、親も知らず砂漠の中で、一匹狼の盗賊として生きるローは、誰からも、何者にも縛られない自由な存在とも言える。 今までは、ローについてはそれほど重要視していなかったけれど、案外、ローの存在が、この物語のキーワードかもしれない。 また、ローとイェンの若い二人の愛については、リーとシューアンの愛に対し、副次的なものとして捉えていたけれど、今回観ていて、リーとシューアンとの対極に若い二人の愛を置くことで、二つの愛を両極にして、その間で様々に拮抗し、鬩ぎあい、絡みあうものが、さらにくっきりと浮かび上がってくる。 武術の奥義と格闘の技で支配しようとする秘伝書。 精神の至高と現実の愛。抑圧と解放-------。 そして、ローとイェンも又、身分違いの許されぬ愛に葛藤する。 イェンは、ローへの絶ちがたい愛、碧名剣(グリーン・デスティニー)に魅せられた剣士への夢、自由への希求、自らの師となるジェイド・フォッスとの確執、リーが語る正しき剣の道に揺れる心。 渦巻くものの中で、自らを見失ったかのように武術の力に暴走する。そして、貴族の娘という宿命。 「心のままに-------。願いは必ず通じる-------。」 全てを封じこめ、貴族の娘として政略結婚の道を選んだイェンに対し、ローはイェンに対する一途な愛を貫き、厳しい警護に守られた、イェンの婚礼の輿の行列に向かって無謀にも突っ込んでいく。 碧名剣(グリーン・デスティニー)に引き寄せられるように、二つの愛が絡み、大きなうねりとなって一つの運命に導かれる。 ジェイド・フォッスの毒牙にかかり、死に行くリーに、シューリンは、堰を切ったようにリーへの愛をほとばしらせ、彼を抱きしめる。 そんなシューリンに「私は人生を無駄に過ごしてしまった。お前と生きたかった。」 ようやく自らを解き放ち、内に秘めたシューリンへの真実の思いを口にするリー。 リーとシューリンの叶わなかった思いは、若いローとイェンに引き継がれるのだろうか。 「何があっても、自分の心の声に素直に生きるのよ」互いに求めながらも果たしえなかったものを、シューリンはイェンに託す。 「心のままに…」 そんなローの言葉に、自由に伸びやかに空を舞うイェンの姿-------。 製作費1500万ドルといわれる、今までの武侠映画とは桁外れのスケール。 「マトリックス」で注目を浴びた、アクション監督ユエン・ウーピンのワイヤーワークとアクロバティックなアクション。 この後、チャン・イーモウ監督の「ヒーロー」でもワイヤー・アクションが存分に使われているけれど、この「グリーン・デスティニー」が原点だろう。 そんなスケールとアクションの壮大さに、当初は目を奪われるけれど、やはり見直すほどに、人間の内面を静かに深く見つめるアン・リー監督の視線が、隅々にまでいきわたった人間ドラマが、じっくりと胸に滲みわたる。 そして、ヨーヨー・マの奏でるチェロの音色が静かに胸に響いてくる。 ローを演じたチャン・チェン。この時の彼は、まだ青臭さの残る青年だったけれど、4年後の2004年製作のウォン・カーウァイの「愛の神エロス~エロスの純愛・若き仕立て屋の恋」では、初々しい中に大人の男の色香をもった役者に成長していた。 2005年ホウ・シャオシェン監督の「百年恋歌」でも、3つの時代のそれぞれの愛の姿を描いた物語で、それぞれ違う時代の3人の男を演じていて、確実に演技の幅を広げている彼を観ることができた。 それから、チャン・ツィイー。 「初恋のきた道」のあのなんとも可憐で清純だったチャン・ツィイー。 赤い綿入れを着て、ころころと走っていく姿の可愛いかったこと。 発掘し育て上げたコン・リーに去られた後のチャン・イーモウ監督が、コロリと参って骨抜きになってしまったんだろうなと思う。 それからチョウ・ユンファ。 この作品といい「アンナと王様」のシャム王といい、とても素晴らしかったのに、「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」でのアジアの海賊役。 観ていて、それらがみんな帳消しになってしまうほどの演技でした。 仕事とはいえ、ハリウッド映画といえども、あんな映画に出たらいけません。 もっと役を選ばなければならないと思いますね。