レビュー
<人生は近くで見ると悲劇だが、 遠くから見れば喜劇である> まずこの映画はハングオーバー!の監督ドットフィリップスの色もなくヒーロー物が原作の映画とは全く違う形だ。あまりにも現実的で悲惨な社会を表したこの作品は大ヒットするかしないかを離れて残酷すぎる名作(迷)だ。映画完成度はどんな人も納得し満足する。演出、内容、演技、音楽、撮影など全てにおいて足りないところがない完璧な映画だった。アカデミー賞も獲得するに違いないだろう。たぶん現実的すぎる内容に感情移入しすぎて鑑賞できない人もいるだろう。 物語の始まりは、病気を患う母親と二人で暮らしてるアーサー(ホアキン・フェニックス)はみんなに笑顔を与えられるコメディアンになるためジョークを考えたりピエロの仕事をする日々を過ごしていた。彼の周りはいじめたり無視したりとても無礼で人ばかりだった。しかしアーサーは笑いが止まらない病気のせいで常に笑い声で溢れていた。そんな中アーサーは彼の同僚から拳銃を貰い自分の身を守るため持ち歩く。結局アーサーは病院での子供達のお見舞いで拳銃を持ち歩いたせいでピエロの仕事をクビになる。そしてその日始めて拳銃を使い彼を無視する人々へ初めてトリガーを引く。面白いことに彼の行動は賞賛され社会は少し変化し、そこからコメディのような彼の人生は大きな分岐点に迎える。 物語の中にはいろんな象徴が存在する。アーサーがジョーカーへと変わるたび激しくなる踊り。アーサーが一日を真面目に生きて一生懸命登る階段と、犯罪を犯し踊り狂いながらも軽いステップ降りる階段。電車での殺人シーンではチカチカ光る照明。マーレイが最初にした冗談スーパーマウスとスーパーキャットは貧困層と富裕層。また富裕層の代表であり市長として頑固で強気な発言をするトーマスウェインはトランプを思い出した。これは今までのバットマンの視点では絶対出てこない視点だろう。このいろんな象徴が映画を引き立てる。 さらに劇的な瞬間に弾けるBGMは名曲ばかりでセンスの塊だった。フランク・シナトラの<Send in the clowns>や<That’s life>、チャップリンが作曲した<Smile>はマッチしすぎてこの映画のために作られたと言っても過言ではないだろう。階段でのシーンの<Rock n roll part2>も逆説的で好きだ。またトイレでのダンスシーンでのチェロが中心の演奏曲は、音楽監督ヒドゥル・グドナドッティル曰く90人演奏者の他の楽器の演奏も存在してたがチェロの音量だけを上げ他を消すことによって、複雑なジョーカーの中身を表したという。彼女の演奏曲が劇的なシーンに出るたびにこの映画をさらなる高みへと導いた。 そしてこのあまりにも残酷で冷たくて配慮がなく無礼な社会を制裁するために純粋で邪悪な怪物ジョーカーの誕生と社会へもたらした混沌を表した。血を流すことでしか夢のスポットライト浴び歓声をもらえる彼を作り出したのは個人ではなく社会だと何度も我々に訴える。しかし本当は誰も興味を持たない悲惨な彼の人生と傷を癒してくれる憧れの「お父さん」と「愛」が欲しいだけだったが現実は非常に残酷だった。原作では毒性化学物質に投げられ狂ったのであれば、この映画では社会に投げられ狂ったのが大きな驚きだった。結局彼の夢は全てボロボロに崩れた後、自分の手で壊し美しく踊り狂う様がこの映画を完成に導いた。最後のシーンなんかはチャップリンを観るかのような最高のフィナーレだった。続編の余地を与えてるようにもみえたが個人的にこのまま終わって欲しいと思えた。 歴代ジョーカーは今まで運命かの様に名俳優ばかりが演じてきた。その中でも評価が高かったのはヒース・レジャーのジョーカーだった。ヒースはカリスマ的で非常に危険な混沌の化身であり、この映画が公開される前まではみんな口を揃ってヒースを讃えてた。しかしホアキンフェニックスは悲惨な現実を生きる狂人そのものだった。自分でさえも耐えられない憤怒、嫉妬、笑い、狂気の先から滲み出る悲しみが歴代のジョーカーの中で一番悲惨で残酷だったと言えるだろう。また彼の笑っているのか泣いているのかわからない魅力的な演技と、わざわざ体重を20キロも減量して痩せ細った彼の後ろ姿はジョーカーの寂しい生き様を表現するに足りていた。比べてみるとヒースは自分の行動や信念に対して説明をし狂気を表してきた。ホアキンは彼を支持する人々へ信念や心情を一言も説明せずひたすら踊り存在だけで狂気表してた。どっちも恐ろしい俳優だ。 そして不思議なのは、今回のは今までのジョーカーの中で一番原作の姿とはかけ離れたジョーカーだった。むしろあまりにも現実すぎてバットマンというヒーロー物に含まれることを拒否してるのかも知れない。 アメリカでこの映画が公開したあとニュースでは、9年前ダークナイト公開時の乱射事件を繰り返さないために警察が常に警備をしているそうだ。ダークナイトよりもっと現実的で過激で暴力的な面を問題視するほど現代のアメリカでは社会的に大きな問題が起きてることを意味している。貧困、行政、殺人、児童虐待、銃規制、格差社会の不満がこの映画が火種となって爆発するのを恐れているのだろう。なぜならこの映画はカサブタで閉じてる傷を針で何回も刺すようにアメリカの社会問題を指していた。その中でジョーカーは笑っていた。そんな彼を観た自分は涙が溢れた。これは映画じゃなく自分の話のように感じれる。結局我々に必要なものは会話、配慮、礼儀、共感、そして愛であることを。 自分は初めて映画を好きになったのはダークナイトがきっかけだった。しかし今回のジョーカーによって自分は映画を愛せるようになった。最近のMCUより何倍も劣るDCに失望ばかりだったが、今回ばかりはどんな作品も超越した自分の中の人生映画だった。ジョーカーという名前じゃなくても名作だっただろう。 必ず劇場で鑑賞することをお勧めします。
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