レビュー
前日譚に5部作を割く時点で、ホントに作品として評価したくないんだけど、J.K.ローリングの偉大さは揺るがないものなので、もはや作り出された世界観を信奉するか否か、それがすべてなのだと思う。(トールキンがいまも現役で正史を語り継いでいるようなものなので、それは大いに楽しむべきもの) ただその一方で、前日譚の濃度を高めていけばいくほど、どうしたってハリー・ポッターの価値や存在感が目減りしていく。ニュートがどんなに活躍しようと、観客はその先の未来を知っているわけで、ハリーが乗り越えた脅威や喪失などが、過去と比較して大したものでない程度に霞んでしまうのは、なんというか嬉しくない。 個人的に疑問なのが、魔法動物の「あざとさ」で、これ物語の根幹だと思うのですよ。「グリンデルバルドは動物をナメてる」という視点はホントに素晴らしいし、テーマとして突き詰めるべきだけど、観客が「可愛い! うふふ」と感じてしまうような振る舞いを魔法動物にさせてしまうのは、人間のエゴを強調させているようにしか思いません。それはよくない、って話じゃないんですかね、これ。 魔法動物は人間に媚びなくていいし、だからニュートは「クリーチャーを愛でる変なやつ」と思われているんですよ。だれがどう見たって可愛い生物として描いてしまったら意味ないし、逆に見た目の悪い魔法生物は悪側の小道具として使ったりするのが、かなり不快。もっと気持ち悪いクリーチャーにこそ愛を注いでください。てか、ニュートはたぶんそういうやつのはず! それとジェイコブの件。「やっぱり記憶消えてませんでしたー」は前作を完全に台無しにしてますよ。あんな後出しの理由つけるくらいなら、ジェイコブは信用していたので最初から消してないっす、とかのほうが潔いよ。てか、本作からスタートでいいよ。頑張れば三作くらいにまとまるし、頼むからまとめて。 また時代性も無視して、PC的に多様性を広げてしまうのも、まるっきり意味合いが逆転してしまうので、大いに疑問です。時間が経つと魔法界も人間界もホワイトウォッシュが完了してしまうなんて、メッセージとして残酷すぎませんかね。 あと、どうしても出版形態が納得できません。まるでJ.K.ローリングにとって「小説は映画の前段階でしかない」というような姿勢が、小説を信奉しているぼくにとって悪夢的です。トップを独走するあなたがやらないでくれよ頼むからー、と泣きたくなります。 ポッタリアンのエズラくんも嬉々としているようなので、まあこんな不満はだれも抱かないのでしょう。ウルトラ戯言ですね。失礼しました。
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