
星ゆたか

ユダ&ブラック・メシア 裏切りの代償
平均 3.5
2022.10.8 『刑務所に送られようが、どこで何をされようが言っておく。私は労働者だ、民衆だ、革命家だ。“ブタでなく人間だ”と。』 1970年に21歳の若さで、黒人民主主義団体ブラックパンサー党の指導者として、襲撃され暗殺されたフレッド・ハンプトンの言葉。 この事件に対し遺族らが直ちに、FBI, シカゴ警察、州検察の共謀による犯行として、4770万ドルを請求する民事訴訟を起こした。 この宿泊先に就寝している大方のメンバーを含めた寝込みの犯罪は、警察側の99発、党側の1発という有り様でしたが。 この裁判の採決は当時の最長12年後に、185万ドルの和解で終結したそうです。 タイトルの“ユダ&ブラックメシア”の後者にあたる“救世主”が暗殺されたハンプトンとすれば。 前者の“裏切者”になるのは、党員の一人ビル・オニール。 たまたま偽物のFBIのバッチを使って(権力を盾にして)同じ一般黒人の車を盗んで捕らえられた。 FBI捜査官ロイ・ミッチェルに『有罪になれば車泥棒で一年半、連邦捜査官の成り済ましで5年だ』と前口上され。 しかしブラックパンサー党や周辺の内部情報を常時報告(密告)してくれれば報酬付きで身の安全の保障も約束してくれた。そういう駆け引きで個人の、社会の運命が変わった。 映画はこのビル・オニール氏が、後の1989年3月3日に一度だけテレビインタビューされた映像が冒頭の俳優の再現で、終末では実録の映像で示された。 記録者に『息子さんにはどう話します?』と“密告”していた事実を聞かれ。 『私は……共に闘った。傍観者じゃない。今になって当時を振り返り人を批判するだけの人間じゃない。何もしなかった連中とは違う。自分の考えを持ち熱心に活動し現場に出る勇気もあった。命を恐れたんじゃない。あとは歴史が語るはずだ。』と。 この実際の映像は1990年1月15日の《マーティン・ハーサー・キング牧師の日》に放映された。そしてその晩ビル・オニール氏は自ら命を絶った。との話。 このキング牧師の暗殺事件は1968年4月4日にあった。そして4月5日の翌日、 大がかりな黒人抗議・抵抗(あくまでもこれは暴動ではないと彼らは主張)運動が起きたとされてます。 ハンプトンを演じたダニエル・カルーヤ(1989年2月24日生まれ)さん、 オニールを演じたラキース・スタンフィールドさんと共にアカデミー助演男優賞の候補。ここはすでに2017年の「ゲット・アウト」で主演男優賞の候補済みの知名度も勝って、ダニエル・カルーヤさんが(体型を変えての)熱演で初受賞。 しかしこの俳優によって演じられた ハンプトン像。 冒頭での街頭演説もですが、民衆の心に言葉の一つ一つを染み込ませ、高ぶる感情をその言葉を連呼させることで、意思統一していく力は、とても二十歳前の青年には見えない。リーダーたる素養だ。 『我々の党は、慈善でも自己満足でもない。無料の〔朝食・医療・教育・民衆の解放〕を掲げる。』と。 周囲の血筋の違う貧困層の白人やプエルトリコ人らと共に手を繋ぎ、いい社会を作っていきましょうと呼び掛ける。 すると初めは疑心暗鬼だった他の組織の連中も、その日頃の連帯感のお陰で党本部会館の一部が、言われなき警察の襲撃・放火事件の後の復活工事には自主的に手助けに来てくれたではないか。 またFBIのミッチェル氏は、時にあの有名な当時の長官ジョン・エドガー・フーパー氏に、仮にこのような革命家は投獄(実際にハンプトン氏を70ドルのアイス盗難の罪で逮捕)されても、決してあなどれない。出所し出版物などで批判する影響力もある。だからと念入りにミッチェルの生まれたばかりの女の子の保障も暗にほのめかし(おどかされ)、あの“息どめ”の暗殺実施計画を急がせた。 またそのミッチェルも、時々オニールが密告仕事から抜け出したい気を見せると。 白人至上主義のK.K.K団体に、消したい黒人を手渡し、実際あったひどい悲惨な殺人事件の例の話を持ちかけ(これも一つのおどし)、あくまでもFBIは全うな正義の観念のもと動いてることを強調した。 ラストクレジットに実話の映画らしく、その後の話と実像映像。 結局ビル・オニール氏は70年代初めまでFBIに情報を売り、稼いだ金は現在の20万ドル(日本円にして3000万円近く)だったという。 またハンプトンの愛妻デボラさんは、夫の暗殺25日後に出産し、1978年のイリノイ支部の解散まで活動したとも。 現在はアリア・ヌジェリと名乗り、ブラックパンサー党カブスの顧問として、 愛息フレッドJr議長と共に運動を進めてるとのこと。 しかしながらいつもこのような外国の警察機構の歴史・実態を見て知る度に、日本のかつての軍国主義下の特別高等警察などをも含めて、集中的に権力を持った団体・組織・体系の在り方を考える。 現在の日本の警察の存在・位置・体制・価値などはいかがなものかと。