
星ゆたか

キネマの神様
平均 3.2
2022.4 “映画の神様”は、スクリーンの世界の登場人物が、見ている無類の映画好きな観客の“ひとり”に話かける、“魔法”をかけた。 この構想は、近くは「今夜ロマンス劇場で」(2018年武内英樹監督) 少し前で「カイロの紫のバラ」(1985年ウディ・アレン監督)でも着想された。 松竹100年記念作品として制作され、新型コロナウイルスの流行で主役の変更・公開日の遅れなどを経た映画のエッセンスでもある。 原作・原田マヤさんの物語では、主人公の円山歩は39歳の独身の男性。(映画では離婚した子持ちの娘)その父親のゴウは、ギャンブル狂いで多額の借金もあり、妻のよしこに迷惑ばかりかけているダメ親父。その父親が病から退院し、無気力なしかし無類な映画好きで友人のテラシンの経営する名画座〔テアトル銀幕〕に入り浸っていた。 そして映画では、この三人をかつて昔、若かりし頃映画制作に関わる状況にした。 本作では主役・志村けんに代わり沢田研二が、そのダメ親父ぶりを披露する所から始める。ギャンブルの借金で妻も娘もさんざん苦しめられ、今も返済に追い立てられている。 何かといえば、『競馬で一発当てればそんな借金なんてことない。』 娘は母に何で別れなかったの?と何度も問いかける。そのたびに母は、私が支えなかったら、あの人は‥‥。娘は私達が父さんの尻拭いをしてきたから駄目にしたのよと。 そうぐだぐだと嘆かれても、始めのほうでは、登場人物に思い入れがないので、ただ嫌な気分なだけだ。そして笑いでくるまれて話されても、あまりおかしくない。 一般に映画は導入部、人物紹介の部分でその作品の印象が決まる。その意味でここは、むしろ25分ぐらいから始まる、ゴウの若かりし頃の回想部分から入ったほうが良かったのではないかと思った。 特に活気溢れる映画制作場面。あの陽の落ちかけた浜辺のシーンで、躍動する映画人の活気なんて、夢や希望に満ちてこの作品への期待が膨らむではないか! それに度々描かれる主人公のチャランポランぶりに、おどおどする妻の姿。何度も本当は自分より、親友と一緒になったほうが、幸せになったのではないかと、省みる夫の姿。これでは、やっぱり昔の若い頃の自分たちのほうが良かったと思うだけで。 過去と現在の人間を結びつけたくなくなる。昔は良かったけど今は駄目だねと。 ちなみにこの一人の女性を、親友同志で同時に好きになり、本心を隠し言動を起こし人生を決める設定は、古くは有名な所で、夏目漱石の「こころ」がある。 またそのような古典の活用で嬉しくなる場面。 何十年ぶりかでその親友の心配りで、一緒にならなかったよしことテラシンが再会する所。 映画館の雑用係の応募にきた老婦人に、よしことも気づかず問う。 『映画はお好きですか?』 『はい、若い頃はフランク・キャプラの「素晴らしき哉!人生」を何度も見ました』 『あぁ、あの雪の日に奇跡が起こる映画でしたね』 実際この時、映画館の窓の外では、雪が降っている!。つまり再会の奇跡が起こったわけだ。『まっ、あなたは‥‥!』 そんな映画的楽しみを含みつつ、残念ながら全体では何となく、スッキリした印象で終わらない作品であった。 映画では、かつて書いたシナリオを、主人公の孫と一緒に現代風にアレンジし創作し、シナリオ公募に出し当選する物語になる。“キネマの神様”という、映画と観客の心が1つになる話だ。“75歳の脚本家の誕生”というのは、普通に考えれば高齢化社会に光をあてる結末。しかしこの映画の場合は、どうもその線は狙ってない。となればやはり時代を背負うべきは、次の世代ということになる。 この作品の映画プロデューサーに30代の二人。阿部雅人(33)房俊介(37)がいて。 その房さんは、奄美大島出身で「男はつらいよ 寅次郎紅の花」(1995年)の時実家のホテルを使用してもらった縁(当時11歳)からの付き合いだと。しかも山田監督の奥さんが亡くなられて、山田組の手伝いをしている内に、山田監督の自宅に住み込みで、2014年までの5年間働いたという経歴です。 その時ザ・ドリフターズのDVDを監督と笑いながら見て、志村けんさんの最初のキャスティングになったとか。 そんなこんなで、“キネマの神様”に助けられながら、コロナ期に公開された訳です。 原作の真意(映画の愛、家族の愛はかなり抽出した)は解る。それなら息子(やはり原作どうり娘でなく息子のほうが良い。息子と嫁、あるいは娘を加えて描いてもあり)と孫の世代で、これからの映画界を引っ張っていく人達で、未来に希望をもたらすような幕切れで見せたほうが良かったのではないかと思った。