レビュー
カンヌ国際映画祭審査員賞受賞作品。監督は、『裁かれるは善人のみ』(14)でゴールデングローブ賞の外国語映画賞受賞のロシア人アンドレイ・ズビャギンツェフ。 ◆ 離婚協議中の夫婦にはそれぞれすでに別のパートナーがいる。12歳になる息子のアレクセイをどちらが引き取るかについて言い争い、罵り合うふたり。アレクセイはある朝、学校に出かけたまま行方不明になってしまう。息子は無事に見つかるのだろうか、それとも――。 ◆ 風刺、そして輪廻を感じた映画。 お互いを罵り合い続ける、もうお互いに愛のない2人。自分達の子供にすら無関心で、親権を押し付け合う姿まで子供に見せてしまう。そんな状態まで陥ってしまった原因として次第に描かれていく2人の素性。かたや自らの親からも、同じように愛を受けずに成長しており、かたや家庭外に愛を求めては、すぐに気持ちが離れ、同じ事を繰り返す人間性。為すべくしてなった、逃れようのない、“人間性の輪廻”が描かれていたと思う。 お互いを罵り合いながら、なぜ自分だけがこのような目に会わなければいけないのか。同じ主張を同じセリフで叫ぶウクライナ内戦下の民衆、そしてそれをどこか冷たい表情で見つめるジェーニャ。どれだけ不幸でも、どれだけそれを主張しようとも、他人にはそれが対岸の火事でしかない…そんな風刺から転じて、この映画が通しで描く、愛のない利己主義の虚しさを訴えていたように思う。 息子が生きているのか死んでしまったのか、この映画はそれをあえて明らかにしないことで、上記2点を映画の芯として描いていたと思う。 ロシア映画は初鑑賞だったのだけど、冒頭の池木や、各シーンに見る長回しの独特の間だったり、いくらでも裸になる露骨さ、はっきりとした人格の切り取り方、他の映画にない独特さがあったと思う。
いいね 7コメント 0


    • 出典
    • サービス利用規約
    • プライバシーポリシー
    • 会社案内
    • © 2024 by WATCHA, Inc. All rights reserved.