レビュー
彼女とのことほど、私を恐れさせ混乱させた体験はない。 もう二度とないだろう。 彼女に与えられた、あの安らぎ、あの不安、あの自信、そして無力感。 冒頭に流れるナレーションが、本作の全てを物語っています。 15歳の少年が、肉体的にも精神的にも大人の男へ一歩進んだ、ひと夏の甘く苦く切ない出来事を描いた、子供から大人に成長していく通過儀礼がテーマの映画です。 当然、主人公ハーミーの視覚から捉えた、徹底して一人称の映像であり、40数年前、ハーミーと同じ15歳の時に観たこの映画は、完全にハーミーと同一視点に感情移入して観た記憶があり、胸が苦しくなるほどに悩ましく強烈な印象を与えてくれました。 延々と描写されるドラッグストアの長回しシーンは、将に思春期のバカな男たちが嘗て辿った通過儀礼そのものであり、コーヒーは苦味を我慢してブラックで飲むのが、大人の男への入場券と思えていました。大人を模倣するために、虚勢を張って思いきり背伸びしたあの頃を経て、いつの間にか人は一人前になっていくのでしょうか。 己自身を顧みても得心できる、10代の少年たちの何と無邪気で無知で愚かなことか、そして呆れるほどに性への好奇心を滾らせていたことか。 原題でもある、ハーミーたちの「1942年の夏」の空は、常に晴天だけれど、セピア色の靄のかかったような青磁色の蒼空であり、気持ちは晴れて精気は漲っていながら、心はどんよりとして不安定な、恰も思春期の心象風景を現しているかのようで、これにアンニュイな哀感と寂寥感のこもった、単調だけれど情感豊かに心に染み入ってくるミシェル・ルグランによるテーマ曲が重なると、観客を浮揚感とノスタルジックな既視感に導いていきます。 そしてハーミーに強烈な懊悩を与えた、人妻ドロシーを演じるジェニファー・オニールの何と燦然と優美にして妖艶で、官能的に神秘的で蠱惑的なことか。 彼女とのベッドシーン、初めての異性、海の潮の香、寄せる波と引く波の音の心地良い揺らぎの音色、静謐にして厳粛なこのシーン。これほど煽情的で耽美的で抒情的なベッドシーンは他に知りません。然しハーミーにとって、興奮と歓喜の坩堝のはずなのに、何故か哀愁と悔悟の思いが過ります。 エンディングでのナレーション、「まだ少年が少年であった時代だった。人生のささやかな出会い、人はそれで何かを得て何かを失う。」 「私は、嘗ての出会いから何を得て何を失ったのだろうか」、ふと自問自答してみたくなりました。
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