レビュー
星ゆたか

星ゆたか

4 months ago

4.0


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ザ・ルーム・ネクスト・ドア

映画 ・ 2024

平均 3.4

2025.11.19 「病に侵され安楽死を望む女性が最後の1ヶ月を“隣の部屋”で寄り添って」と30年ぶりに再会した親友に依頼する物語を。 ティルダ・スウィントンとジュリアン·ムーアと言う、共に1960年11月(5日)と12月(3日)生まれの名女優に託す💫。 監督は近い所から「パラレルマザーズ」(21)「ペインアンドグローリー」(19)等のペドロ·アルモドヴァル(49.9.25)✨。 「抱擁のかけら」(09)「ボルベール 帰郷」(06)「トークトウハー」(02)*私事ではBEST「オールアバウトマイマザー」(99)等が、その鑑賞年のマイ·ベストテンに入れている。 どの作品も光沢のある強烈な色彩ワールドが特長的で。 その中で、人間の欲望や情熱そして同性愛や家族や個人のアイデンティティーを独特なブラックユーモアで絡めながら描き出している。 本作は米国女性作家シーグリッド·ヌーネス(51年生)の7作目の小説「友だち」(18)からなる。 〖安楽死〗と言うテーマで今年見た映画でいくと。 5月1日鑑賞の「すべてうまくいきますように」(21年フランソワ·オゾン監督)が浮かぶ。 あれは父親が娘に話して、専門的業者を極秘の内に頼み、スイスで実施されるまでの日々を描いたものだった。 今回はかつてニューヨークタイムスの第一線で活躍し、親友だった女流作家イングリットと戦場記者マーサの2人が。 およそ30年ぶりに(作家の新作小説書店サイン会で知人に知らされ)再会。 作家が入院中で癌治療と闘っている元記者だった彼女を見舞う所から始まる。 『色々副作用が苦しい癌治療に医師の薦めで応じてきたが。 何の効果もなく、肺や他に移転して余命も1ヶ月か半年かと言われて。 『もう何もしない、ただ死を待つ代わりに、こちらから最期を迎える』と心に決めたと話す。 唯一の身内の娘は、彼女がまだ10代の頃、父親不在の中で育てた為。 母娘の関係は最悪で。 明るかった父親の青年はベトナム戦線で、すっかり廃人のような戦争後遺症を抱え、悩める若人で帰国。その彼女の励ます中で妊娠行為。 ただ、彼はその妊娠話を聞くも、自身のPTSD病の治療経験から、その関係施設で働くと、彼女から離れて行ってしまう。 だから娘に『パパは?』と聞かれても『わからないとか死んだ』と話していた為に関係が悪化した。 だから癌治療も安楽死についても『どうぞ勝手にして』と取り合わないと。 他の友人に『安楽死の付き添い』の話は断られたとも。 でも、『少し考えさせて…』と病院を後に車に乗りこみ…。 『…決めたわ、私が貴方の隣の部屋に…』と携帯で返事する。 森の中の山荘の一軒家をマーサが見つけ1ヶ月契約。 安楽死の薬は闇ネットで手に入れたとか。 しかし数多の癌治療の副作用の後遺症で。 彼女の記憶認識機能が衰えて。 その大事な薬を自宅マンションに置き忘れてきたと。 山荘到着間もなく気ずき、2時間の道乗りを再び帰り、2人して、『どこに置いたか思い出せない』状況の中、探し回る描写がある。 最初は、この描写いる?とも思ったが。 安楽死を決意した人間の切羽詰まった心境(やはり医療に頼る方がいいか?等の)“迷い”を感じさせる為にも“必要”か!?。 その他、30年の時の合間を埋めるべき2人の山荘や周りの自然の原野の散歩の中で語り合う描写へ、ゆったり移行する。 その中でマーサの彼は、別の女性と一緒になったのだが。 あるドライブの帰り道で。 広い野原の一軒家が火事の最中の現場に通りかかった。 妻の『消防署に連絡しましょう』の声を遮って。 『家の中から助けを求める声が聴こえる』と戦争後遺症の幻聴で。 炎🔥の家屋の中へ向かい命を落としたと話される。 消防署の人からは長い間住む人の居ない廃墟だったと報告された。 この描写などは、安楽死を決意した経緯の中での、彼女の深層心理に陰を落としている重要な部分か?。 ただ、こういった死を覚悟したマーサの方の話の描写があるわりには、寄り添う友のイングリットの過去の話が少ないのは、少し不満が残った。 ただその代わりにというか、彼女とはまだ、恋愛感情が残っていた。 マーサの束の間のセックスパートナーのデイミアン(ジョン·タトゥーロ*58年生)という男性を挟む事で、安楽死に寄り添う側の人間心理に“幅”を持たせた。 彼とは、時折連絡しあっていて。 今回の“安楽死”の協力にあたっての不安や。 その顛末後の警察対応の弁護士なども手配してくれる心強さだ。 その辺の事情については、イングリットとマーサとの会話に、あれだけ“生死”の会話が親密に進むのに。 見送る側の人間同士の説明では。 曖昧な他人会話の一般的嘘が込められる辺りが、本作の会話劇の妙味だ。 いわゆる、安楽死を見送る事の息苦しさを。 少し”息抜き”する感じか。 ここで再び「すべてうまくいきますように」の話を取り上げると。 あちらが、安楽死が計画的に、業務行為の一環の流れで行われる緊張感があるのに対し。 こちらでは、途中『赤いドアが閉まっていたら死んだと思って』のマーサの言葉に動転するイングリットの姿を見せる。 つまり一度、緊張の“サスペンス劇にユーモアのフエイント”を掛ける展開がある。 イングリットは、不意にとうとう、その時が来たか!と。 すっかり動揺し、流し場でショックのあまり吐いてしまうのだ。 そこへ何食わぬ顔したマーサが現れ『どうしたの?』と。 『ドアが閉まっていたから死んだ』と思ったのよ。 『ごめんごめん窓を開けたら風で閉まったのよ。』 『でも生きていて怒られてしまったわね』と。 『来るべき時の予行訓練ね』とも。 この辺のユーモア感覚が、いかにもこの監督らしさか?。 全編重苦しいテーマの作品だけれども。 そういった“息抜き”があった事で、救われもする。 また最終章で警察の事情聴取や、その対応に出向いた女性弁護士の言動(これも、監督の頼もしい女性に対する可笑しさ)を見せたあと。 マーサそっくり(ティルダ・スウィントンの二役か?)の娘が母の安楽死の連絡があって山荘に訪れて。 イングリットから自分の出生の話や父親の聞かされてなかった真実に触れる最終章だ。 この時点になっても…。 また鑑賞後に、自分にとって、❬安楽死❭ってどう?。 実行する思考も、実行される側の思惑も、まだ考えられないし(きっと“死”に対して具体的に直面してない)。 これまでに考える機会もあったはずなのだが…。 まだ娑婆への未練の方が強いって事か!?。 だからか、母と同じ格好でベランダチエアに横たわる静かな幕切れが、自然にその時(死)を迎えるまで、待つかのような映画の幕引きが。 …やはり何故か安らぐ。✨