レビュー
星ゆたか

星ゆたか

1 year ago

3.0


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蟻の王

映画 ・ 2022

平均 3.2

2024.9.10 アルド·フライパンティ(1922~2014)という詩人·劇作家·哲学者·蟻生態研究者の人の【教唆罪(きょうさざい)】事件を廻っての裁判を中心に描いた映画です。 その教唆罪とは、教え子との同性愛関係を何とか罰したいとする。 今日のLGBTQ承認風潮とは違う。 1960年代の同性愛者存在すら認めぬイタリア法制度世界が、初めて立ち上げた罪状裁判の事。 第2次大戦時のムッソリーニ大統領が。 『我が国に同性愛者はいない、故に法律もない』 とする見解を示して以来。 『おぞましい』とする同性愛関係風潮を、何とか法世界で裁きたいとする所から制定された罪状の事です。 確かにフライパンティの素行には、その同性愛性的の面は裁判で本人も認めているが。 決して相手の意思同意のもとの行為であって。 相手の教え子のエットレも、純粋な人生の師(思想·見解)への敬愛からのもので。 単に性欲の捌け口の果ての刹那的関係でないと認めている。 この映画見る前は、先頃多い刺激的ゲイ描写が売り物の作品かと思いきや。 全くそんな事はなく。 唯一その関係描写は一つのベッドで“添い寝する”場面だけ。 しかもその場面とは、彼らの関係を解消させ、身内の性的嗜好を矯正する為の精神病院へ。 強制連行する母親と兄の姿が絡む所だから。 家主に借りる時に。 『叔父さんと甥っ子じゃ、ベッドはダブル一つで良いわね』と言われたのだ。 元々このフランパンテイとエットレの関係を築かせたのは。 兄が彼の思想教鞭についていけず。 その代わりに弟の方と先生が意思疎通が出来たからであって。 この映画をキリスト教の同性愛排除傾向を示す風合いが底辺にあるとするならば。 この兄の素行には。 旧約聖書のカインとアベル兄弟の関係(映画「エデンの東」) を彷彿させるものがある。 事実兄役者の演技には。 神の慈愛を得られぬ兄が、嫉妬し、弟を殺しエデンの園から追放される物語の悲哀が感じられるのである。 とするとフランパテイなる人物は。 神の慈愛の権化的キリスト的存在で。 彼の母親は聖母マリアに見えてくるではないか。 更に彼とその母親の同胞的記事を書く。 イタリア共産党機関紙[ウニタ]記者のエンニオの存在も。 キリストの教えを継承するヨハネのようでもあるし。 最後の野外公演の野原での。 「アイーダ」。 エチオピア王女アイーダとエジプト将軍ラダメスの悲恋物語。 2人は現世の苦しみに別れを告げ。♪さらばこの世よ、涙の谷よ♪ フライパンティとエットレの現世での別れを被らせての場面は自然に涙が滲んでくる、とても味わい深い名場面だし。 という具合に時代と芸術が混合する大変奥深い映画である。 劇中エットレがフランパテイと蟻塚を探索する所で。 『蟻には2つの胃袋がある。一つは自分の食べ物を貯めておくもの。もう一つは仲間の為のもの。自分より他人を優先する共同体を大事にする所が好き』と彼に話す。 このエットレを演じたレオナルド·マルテーゼと言う新人は特に注目で。 最初に人生の師に会う所の初々しさから。 その後精神病院の電気ショック治療で。 半ば廃人のような容貌で法廷証言に出頭する所。 そして最後に微かに希望の光を絵描きの道に見いだした所と。 過去·現在·未来の姿を、その若々しい肢体で変化させ見せた所は、とてもいいです。 なお、この映画は史実に本図いた作品であるけれど。 映画の影響力を思慮し改変されているらしい。 エットレはGiovanni Sanfratelloという人物で。 新聞記者エンニオは。 Paolo Gambesciaという人物で。 映画では編集長に辞を暗に威圧してくる風に描かれているが。 実際はこの編集長は同性愛に批判的ではなく。 同調的人物で、裁判中もその後も記者にも利益ある仕事を続けさせているとの事。 共産党左派は必ずしも同性愛に批判的でもなかったようだ。 ジャンニ·アメリオ監督(1945年生)のあの時代への視点により。 象徴的事件を取り上げた芸術的意義ある映画でした。