レビュー
人の形をしたロボットってのは色々厄介だよなぁって色んなSFを観て思う。ただの機械、ただの道具だと思ってたら楽なのに。人の形をしているだけでどうにも事情が変わってくる。愛着が湧き、無機質な物体に見えなくなってくる。しかも、今回は感情があるように見える。ロボットに感情が宿るのか否か。ロボット物の作品には欠かせない題材だが、毎回考えさせられる。 もし、ロボットに感情が宿っていたなら、それが人間と変わらぬ容姿であったなら、それは人間との境はあるのだろうか。 家庭用アンドロイドに好意的な感情を抱いているが、社会的に鑑みるとそれは変態扱い。感情を抑えつけていることに歯痒い想いはあるもののそれを素直に表現することは憚れる。しかし、あの喫茶店に集まる奇妙なお客と会話し、心を通わすことによって、凝り固まった想いが次第に溶けてゆく。 思想とか常識ってものは不変ではない。その時代の生活様式によって変化していくものなんだ。従って、家庭用アンドロイドが一般家庭でも普及してるような世界観ならば、アンドロイドに恋をするのもおしゃべりするのも当たり前になって然るべきなんだと思う。非生産的な愛だとか言うのであれば、同性愛や子どもを作る機能が不充分の男女もそうだ。しかし、そういった方々の市民権は当然得られているわけで、アンドロイドを性の対象にしている人を差別するのは間違っている。 当然親子愛が生まれていたとしても不思議ではない。ロボットに愛を求めた少年にロボットが答えたなら、確かにそこには絆があった。マサカズとテックスの2人にはお互いを慈しむ愛がある。ちょっと泣けた。 結局、科学文明が進んだとしても、人間の感情というものは変わらない。どういう感情を持つか、それを誰に向けるかは変わるが、感情を抑えることはできない。どんなに技術が進もうと人間が感情で動く動物だということは変わらないのだ。 ただ、その愛を否定することはできないが、ロボットを愛する人類は子孫を残すことは出来ない。感情で生きる人間はひどく動物的ではあるが、一方で子孫を残すという生物には必須のことを放棄し、自然の摂理から逸脱してしまっている。技術が進化した人間は生物という枠組みから離れていってしまう。しかし、またそれもその時代の価値観であって、それを受け入れざるを得ないんだろうなぁなんて哲学的なことを考えてみたり。
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