茗荷村見聞記

茗荷村見聞記
1979
112分
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四十年余を精神薄弱児教育ひとすじに生きてきた田村一二が、心身障害者たちとごく普通の人々がそれぞれ自分に通した仕事をしているユートピア“茗荷村”を訪れた。村長の用意した馬車で早速、村をまわる。馭者の音吉はチエ遅れだそうだがとても元気で明るい。重度の精神薄弱児たちと共に焼き物屋をやっている江木の店に寄って、村で作った添加物ぬきの食品を出す居酒屋“ぼけ屋”で昼食、午後も数カ所を一巡して“織りもの屋”を訪れた田村は、そこで若い頃一緒に精神薄弱児の指導をしていた桧原先生に思いがけない再会。夜“霧の家”という宿に泊まる。そこで、チエ遅れの女の子が三人、女中として働いている。そして、その宿の女主人、露木さんは、四十年前、生徒だった自閉症の宗雄の母親だった。宗雄はその後、ガンで亡くなったそうだ。宿でのおいしい麦ごはんの食事のあと、村の喫茶店“麦”に出かけた。ここの女主人花田も、昔、田村と一緒に“一麦寮”で精神薄弱児のめんどうを見ていた。翌日は村長に代って、研究所の先生、春木が案内をした。農薬を使用しない野菜の漬物屋、それから、発電所に老人ホーム、劇場などの文化施設をまわる。その夜、研究所の所長、花竹の家で、“ガンジーの娘”と名のる桃江と会う。終戦直後、世話をした浮浪児、常吉の娘だ。常吉は田村に読まされた「ガンジー自叙伝」でたちなおり、チエ遅れの花江と結婚して、桃江を生んだ。桃江によると、その後常吉はガンで死に、花江はチエ遅れながらも、桃江を一人で育て、成人式には晴着までそろえてくれたという。“私にとってカアちゃんは日本一の母でした。チエ遅れだって、どんな母親にも敗けない”と。こうして数々の心のふれあいを得た田村は、村長以下素朴な村民たちの姿をしっかり胸に刻んで、名残り惜しんで茗荷村をあとにした。

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