書くことの重さ 作家 佐藤泰志
書くことの重さ 作家 佐藤泰志
2013
91分
厳しい冬と短い夏の街、函館。佐藤泰志はこの街に生まれ育ち、20歳まで過ごす。父母は青函連絡船を往復して青森産の黒石米を運び、函館で売りさばく“担ぎ屋”として生計を立てていた。幼い頃から作文を書いた佐藤は、中学2年の文集に「芥川賞作家になる」と将来の目標を書いている……。
〈第一章 きみの鳥はうたえる〉1982年1月。「きみの鳥はうたえる」が芥川賞候補になり、函館の実家で結果を待つ佐藤。一方、東京・築地の料亭では、芥川賞選考会議が開かれ、計8作品について喧々諤々の議論が行われた。
〈第二章 多感な青春〉1966年。佐藤は函館西高校2年になっていた。この秋、戦時下の中国を舞台に若い日本兵の苦悩を描いた小説「青春の記憶」で第4回有島青少年文芸賞優秀賞を受賞。高校3年間は文芸部に所属、独自に執筆活動をしながら投稿を重ねていた。
〈第三章 作家への道〉国学院大学に進んだ彼は、函館西高校の同期生らと同人誌「黙示」を発行。小説、詩だけでなく、漫画や政治評論まで間口が広かったことから、文学作品で構成したいと考え、突如6号で離脱。新たに高校の後輩達と「立待」を発行する。
〈第四章 海炭市叙景〉1988年から36篇の連作を構想する「海炭市叙景」を文芸誌「すばる」に断続的に掲載。しかし1990年「すばる」4月号掲載の「楽園」で終了、構想した全36篇の半分であった。