関東破門状(1971)

関東破門状(1971)
1971
86分
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その数、数百団体といわれる全国の組織暴力団。弱少の組を吸収して大組織へとふくれあがる。それ故に、組織内の派閥争いや、他の組織との抗争にも血をもって解決しなければならない。関東浜野組若衆頭寺田組々長寺田次郎も、非人間的な叔父貴を殺してしまったことからいったんは消される運命だったが、寺田の侠気に感じた中桐組々長中桐徹と浜野組総長のはからいで寺田組は解散、無期限の所払いということで、N市の中桐組に身柄をあづけられることになった。だが舎弟頭で総長代理の長谷川はそれに不服ではあったが総長の一言で引きさがざるをえなかった。その反動で、次期総長のイスを狙って陰謀を計り始めた。後日、中桐組に身をおいた寺田は、中桐組と同じく浜野組の盃を受けた神崎が率いる愚連隊上りの新興暴力団共栄会が、虎視耽々と中桐組の縄張りを狙っていることを知った。しばらくして、寺田を頼ってきた元寺田組々員紘二たちのために、中桐はスナックを世話した。そして、寺田の身がわりで服役中の沢木の妹玲子が、そこのママとして働くようになった。一方、浜野組の幹部にしてやるとエサを与えられ、中桐、寺田殺しを依頼された神崎は、スナックの開店資金の出所である金融業畑野から借用証を取り上げ、寺田を脅迫した。それが、彼らの抗争への誘いであることを知った寺田は、中桐に迷惑のかかることを恐れ、単身共栄会に乗り込み凄惨なリンチに耐えた。これを知った中桐は、寺田への詫びのために共栄会に出向いたが、同行した紘二が組員を傷つけてしまったことから中桐組と共栄会の抗争に点火し、情況は長谷川の思惑通り進んだ。機に乗じて喧嘩の仲介を買った長谷川は中桐組の縄張りを一部共栄会に渡すことによって落着させ、寺田の処分は、名古屋方面に勢力をのばし始めた西田会を潰すための鉄砲玉として使おうとしていた。中桐は、自分のために死ににいく寺田を思い、代貸田村を差し向けた。だが長谷川は、中桐の行為は本家の方針を無視したものとし、本家破門、縄張りの全てを共栄会に渡してしまった。中桐組対共栄会・浜野組の対決は勝敗が眼に見えていた。中桐は殺された。中桐の死を知った寺田は、浜野組のために命を張った自分が裏切られたこと、そして、兄弟と誓った男が殺されたことで、所詮やくざでしか生きられぬ男なら、兄弟仁義のための復讐を決心し、浜野組へと向った。

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