しじらみ4.0やってることは『霊的ボリシェヴィキ』と同じ。視えないものを画面に立ち上がらせようとする実験、或いは儀式。『霊的ボリシェヴィキ』以降の短編やらなんやら、そして本作でその方法論を確立させたように思う。 一見使い古された記号に見えるが、それらは儀式に必要な道具であって、それらを(あくまで儀式のルールの中で)正しい方法で収められれば、霊的な何かに立ち会えるだろうという実験。 先ず中原翔子がハンギングチェアに揺られながら脚本を読んでいると、画面奥の階段を白いワンピースを着た河野知美がゆっくりと降りてくる冒頭から緊張感が半端ない。 野蛮な人間の歴史を記録した写真、モニター、鏡、影、シミのような黒い焦げ跡、そして革命。シャッターの光・音が不穏に、時に滑稽に輝く。唐突に始まる結界を張るまさに儀式は『霊的ボリシェヴィキ』のボリシェヴィキ党歌にあたる(ここでベタに俯角にするのではなく、ローアングルで捉えるところに拘りを感じる)。"夢(or 稽古)か現(地の会話)か"は『霊的〜』の異世界の扉を開こうとする試みを映像として本格的に挑戦しているように見えるし、その表現はこれまで見てきたどの似た演出よりも悪夢的にクラクラさせられたことに感動した。何よりある種のマクガフィン的に語られてきた「母親が眼の前で消えた」をはっきり映像に収めてしまう恐ろしさ。その呆気なさに突き抜けた爽快さすら感じた。 ラストの手を振り合う切り返しは、『ツィゴイネルワイゼン』のラストカットにすら肉薄していると思う。 高橋洋、数年後には本当に"見てしまったら死ぬ映像"を作ってしまうのではないかというあまりにも大袈裟な期待を抱いてしまう。一番最初に「いいね」してみましょう。コメント0
ミア
0.5
2024.420本目
しじらみ
4.0
やってることは『霊的ボリシェヴィキ』と同じ。視えないものを画面に立ち上がらせようとする実験、或いは儀式。『霊的ボリシェヴィキ』以降の短編やらなんやら、そして本作でその方法論を確立させたように思う。 一見使い古された記号に見えるが、それらは儀式に必要な道具であって、それらを(あくまで儀式のルールの中で)正しい方法で収められれば、霊的な何かに立ち会えるだろうという実験。 先ず中原翔子がハンギングチェアに揺られながら脚本を読んでいると、画面奥の階段を白いワンピースを着た河野知美がゆっくりと降りてくる冒頭から緊張感が半端ない。 野蛮な人間の歴史を記録した写真、モニター、鏡、影、シミのような黒い焦げ跡、そして革命。シャッターの光・音が不穏に、時に滑稽に輝く。唐突に始まる結界を張るまさに儀式は『霊的ボリシェヴィキ』のボリシェヴィキ党歌にあたる(ここでベタに俯角にするのではなく、ローアングルで捉えるところに拘りを感じる)。"夢(or 稽古)か現(地の会話)か"は『霊的〜』の異世界の扉を開こうとする試みを映像として本格的に挑戦しているように見えるし、その表現はこれまで見てきたどの似た演出よりも悪夢的にクラクラさせられたことに感動した。何よりある種のマクガフィン的に語られてきた「母親が眼の前で消えた」をはっきり映像に収めてしまう恐ろしさ。その呆気なさに突き抜けた爽快さすら感じた。 ラストの手を振り合う切り返しは、『ツィゴイネルワイゼン』のラストカットにすら肉薄していると思う。 高橋洋、数年後には本当に"見てしまったら死ぬ映像"を作ってしまうのではないかというあまりにも大袈裟な期待を抱いてしまう。
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