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愛の黙示録 尹鶴子の生涯
愛の黙示録 尹鶴子の生涯
1997
102分
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1938年、日本の占領下にあった朝鮮・木浦。人からは乞食大将と馬鹿にされながらも共生園という孤児院を営んでいた基督教伝道師の尹致浩の元に嫁いだのは、クリスチャンである日本人女性・田内千鶴子だった。生活は苦しく、戦争孤児は増える一方だったが、彼女は多くの孤児たちの母として夫とともに共生園を支える。戦争が終わり、夫が親日派だと村人から迫害を受けるのを目の当たりにした千鶴子は、自分の3人の子供を連れて故郷の高知へと帰国した。だが、残してきた夫や園の子供たちが気になって仕方がない千鶴子は、母がとめるのも聞かずに韓国へ戻る。夫は再婚して子供ももうけていたが、千鶴子は孤児たちの歓迎を受け、みんなの母として再び共生園で暮らすことになった。やがて朝鮮戦争が勃発し、たびたびスパイ容疑で軍に捕らえられていた夫は、食料を調達してくると出ていったきり行方不明になってしまう。千鶴子はさまざまな辛い目に遭いながらも夫の帰りを信じて園を守ったが、このころから実の息子である基が、孤児同様に扱われていることに不満を抱いて反発を繰り返すようになり、さらに、自分が日本人国籍であることを知って強いショックを受けて、母子の間に大きな溝ができた。時が経ち、日韓国交の正常化にともない基は日本に留学するが、そんな矢先、千鶴子が倒れたとの知らせが届く。急いで病院に駆けつけた基はベッドに横たわる母を看病するうち、ようやく親子の絆を取り戻した。しかし、1968年10月31日、千鶴子は自分の誕生日に「梅干しが食べたい」との言葉を残してその生涯を閉じる。翌11月、反日感情の渦巻く韓国では異例の千鶴子の市民葬が執り行われた。
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