世界の母(1946)

Sister Kenny
1946 · アメリカ
116分
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1909年、豪州クイーンスランドのツウオムバの公立病院の看護婦学校を、エリザベス・ケニーが卒業したのは、22の年であった。彼女に校医をもつマクドネル医師の期待に反し、ケニーは病院に勤務せず、田舎の保健婦として父母の言えに起居することにした。6ケ月働いたとき幼ななじみの豪州軍の大尉ケヴィン・コナーズが訪れてきた。彼はインドへ2年の軍務にいくのであったが、エリザベスは彼の求婚に承諾を与えた。彼女は知り合いの百姓の娘ドリーが不思議な病気にかかったのを看た。マクドネル医師に問合わせると、その症状は小児マヒで、療法はないという返事だった。やむなく彼女は温布で包み、患部をさすってやった。その療法が奏を功してドリーは立って歩けるようになった。同じような患者を六人彼女は全快させたので、それをマクドネルに報告すると、彼は小児マヒ専門のブラック医師に彼女を紹介した。ブラックはケニーの療法を否定し、ドリーを診察して、これは最初から小児マヒではないと断定した。ケニーは療院を開いたが次々と閉鎖を命じられた。第一次大戦に従軍した彼女は、戦線で傷ついたケヴィンを看護し、婦長に昇進した。大戦後、二人は結婚しようとしたが、豪州に小児マヒ者が多く、彼女はその治療に寝食を忘れるくらいであった。医師でない彼女は英本国でも認められず、療院は閉鎖を命じられた。第二次大戦の折、ロンドンのクロイド飛行場で彼女はケヴィンと合って、すぐ別れた。アメリカが彼女を迎えてくれた。ミネソタ大学が、ケニー研究所を設けた。彼女に小児マヒの療養に当たらせたのである。59歳の誕生日に全快した子供たちにとりまかれて彼女は幸福であった。

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