『私は死にたくない』のポスター

私は死にたくない

1958 ・ 犯罪 ・ アメリカ
評価する

基本情報

I Want To Live!
1958 · アメリカ · 犯罪
120分
ジャズが、バーバラ・グレアム(スーザン・ヘイワード)の生活の一部を占めていた。この金髪美人は男を男と思わなかった。すでに、売春・浮浪・偽証の罪を重ねていた。にもかかわらず、彼女はよき妻であり、よき母であった。-1952年3月9日、カルフォルニア州バーバンクで、老寡婦が惨殺され、5月3日にリンウッドアパートで札つきの前科者・エメットとジャックが捕ったとき、一緒にいたバーバラも共犯のうたがいで捕ったのである。彼女には取り調べられるいわれがなかった。なぜなら、事件の夜に夫のヘンリーの麻薬を止めさせようとして、激しい口論をし、夫はそのまま飛びだしたのだから。警察はウソ発見器にかけようとした。彼女が拒否すると、尋問は打ちきられ、彼女の有罪が仮定された。カルフォルニアの諸新聞は、最初から黒として扱っていた。白になるには、夫を見つけ出さねばならぬ。が、弁護費用は余りにも少なかった。囚人のうちの1人の女が、彼女にアリバイをつくることをすすめた。この申し出に、彼女はついにすがった。サムという男が面会に来、事件の夜、あるモーテルに2人が泊っていたことにするといった。「ほんとうはやったんだろう」サムはしつこくきき、彼女がそれを認めねば、偽証罪になるから、助力しないといった。仕方なく、彼女はやったといった。--公判が開かれたとき、このアリバイがバクロされた。サムは警官だったのだ。あのときの会話はかくしマイクで録音されてい、検事側の有力な証拠となった。その上、ようやく見つかった夫はその夜の記憶がないと証言した。麻薬のせいである。さらに、犯人を被害者の家へ運んだトルーという男はバーバラが殺しているのを見たと証言した。第1審の判決は3人にガスによる死刑を宣告した。サンフランシスコ・エクザミナー紙の記者、モンゴメリーはずっとこの事件を担当して次第に彼女の無罪を確信し始めた。その本当の人柄を知るにつけても。彼女自身も、絶望の中から立ち上り新しい弁護士マシューズと心理学者パールバーグを信頼し、子供のためにも生きたいと思い始めた。発見器にも進んでかかった。彼女の心理反応は暴力嫌悪を示していた。モンゴメリーらの努力にもかかわらず、再審を望む訴えは却下された。心理学者も病死し、望みは絶たれた。死刑はサン・クェンティンのガス・チェンバーで行なわれた。その前夜、モンゴメリーはエメットが事実を話し、バーバラを救うだろうと、1晩中待機していた。2度、刑執行は延期された。3度目、バーバラはエメットとジャックに先立って死んで行った。「私はやらなかった」これが彼女の最後の言葉である。

キャスト/スタッフ

forward

ギャラリー

forward

今まで★ 586,952,614件の評価 が集まっています!
  • 出典
  • サービス利用規約
  • プライバシーポリシー
  • 会社案内
  • カスタマーサポート
  • support@watcha.com
  • © 2021 by WATCHA, Inc. All rights reserved.