怨霊佐倉大騒動

Appeal on the Cross
1956
100分
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佐倉両総十二郡の領主、堀田上野介正信は、苛酷な取立を行い、領民は苦境に陥っていた。名主たちの嘆願をよそに、城代家老堀田玄蕃は年貢米の二割増額を申付けたが、更に、桝屋の儀兵衛の娘八重が正信の側室であるのを利用して儀兵衛に不正の桝を作らせ、年貢米を偽り取ろうとした。城下公津村の名主宗五郎は、虐げられる百姓の味方となって今では百姓の神様とまで云われていた。年貢米納入の日が来た。役人の桝に不正を見つけた百姓たちは一斉に騒ぎ出し桝を奪った。だが、それも束の間、玄蕃は役人や捕使に命じ、証拠の桝を壊させ、その上、桝を作った儀兵衛を殺し、正信の側室八重には宗五郎が下手人だと偽った。怒りたった百姓たちは教全和尚の仏頂寺に竹槍や手斧を持って集り、敵わぬ迄も城へ討入ろうと喚声を上げた。だが、宗五郎は犬死を戒め、江戸屋敷にいる城主正信に直接嘆願を試みようと一同にはかった。やがて宗五郎たち十数名の百姓は連れ立って江戸屋敷を訪れ、窮状を訴えた。しかし、父殺害の犯人を宗五郎と信ずる八重の助言で、正信は逆に百姓たちを召捕ろうとした。宗五郎たちは危うく難を逃れたが、かくなる上はと、大老酒井雅楽守に路上から嘆願書を差出した。更に意を決した宗五郎は今度は将軍直訴を企て、一夜故郷へ帰り妻子に別れを告げて来た。将軍の寛永寺参詣の日、教全和尚の計らいで宗五郎は直訴の役目を果した。村に帰った宗五郎は、忽ち佐倉城の役人に捕り、妻や幼い子らとともに磔にされ刑場の露と消えた。その夜、城内で処刑の模様を聞く正信の眼前に突如、宗五郎の亡霊が現われた。奸計を漸く知った八重は正信に玄蕃の悪計を告げて自害、正信も初めて百姓たちの窮状を知り、一味を捕縛した。刑場跡に宗五郎の祠が建てられ彼の死も無駄にはならなかった。

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