イタリアにおける闘争
Lotte in Italia
1971 · イタリア, フランス
62分

--第一部--誰だ? 何が起っているのだ? 私はマルクス主義者で革命運動に参加している女子大生です。〔闘争主義〕共産党がレーニンをテーマにして集会を開いたのがこれが初めてでないことは知ってるわ。でも時たま思いだしたみたいにやるだけじやないの(パオラ)。〔大学〕〔科学〕〔社会〕〔家庭〕革命を待ちながらお前は私と母さんを食いものにしている(パオラの父)。〔住居問題〕〔セックス〕〔身分証明書〕君がパオラ・タヴィアーニかね? M72464です。 --第二部--第一部にあったのは現実の私でなく、現実の反映としての私だ(パオラ)。〔反映〕〔現実〕幻想としての全体、君の現実的な存在条件、この両者の関係は何を意味するか? そうだ、この映画の第一部は黒画面によって分断された〈反映〉によって進行した。どのような画のかわりに黒画面が入っていたのか? 君と黒画面との幻想としての関係、それはイデオロギーと呼ばれるのだ。 --第三部--第一部と同じ〈反映〉としての画なのか? 第二部の構成要素を素材にして、第一部と第二部で働いていたイデオロギーのメカニズムを再考すること。〔生産関係〕第一部では黒画面がありここに〔大学〕という声が入っていた。今、同じ声が科学の歴史の講義をしている。この声に私は造反する。生活の中に階級闘争をもちこむこと。〔闘争計画〕 --第四部--今日のイタリアにおける私の闘争。私はイタリアのTVで、ドラマとドキュメンタリー番組の間で自分の話をしてよいことになった。民主主義の世の中だから、自分の話をする権利があると言われた。私の話に表われたものは、私のイデオロギーの現実であり、私のイデオロギーを生みだした現実、つまり私にとってのイタリアの現実なのだ。だがそれを変革する道は?