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星ゆたか

星ゆたか

1 year ago

4.0


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존 오브 인터레스트

영화 ・ 2023

평균 3.2

2024.12.6 《ホロコーストの加害者側の視点》 アウシュヴィッツ刑務所所長とその家族(夫婦に5人の幼い子供)の日常を描く。 〈歴史と暴力に向き合う新しい形〉とカンヌ映画祭でも。 アメリカアカデミー賞でも高評価の受賞となった。 被害者への暴力的な描写はなく。 その虐待現場を想像させる、人の叫び声や機械(焼却炉稼動音)の効果音響で恐怖感をあおる演出が特筆している。 「関心領域」ドイツ語(Interessengeblet) 特定の部分だけ画像処理する場合などに用いられる範囲指定の事。 ❲THE·ZONE·OF·INTEREST❳は第2次大戦中に強制収容所周辺40平方キロメートルのエリアの事。 収容所に隣接する所長宅。 これはアウシュヴィッツ記念館の側に現存するが。 傷みが激しく使用出来ないので。 近くに原寸大のセットを設営。 カメラを何ヵ所にも設置し。別室モニターで確認編集して。 ドキュメンタリー作法で制作されたそうである。 【物語】ルドリフ·ヘス.アウシュヴィッツ刑務所所長、妻ヘートヴィヒ夫妻はやっと手に入れた邸宅に住む。 3年かけて婦人自慢の庭も完成し。 今は使用人と共に日頃の維持管理仕事に勤しむ。 この家族皆、隣の収容所でどんな事が行われているのか、うすうす知っているようだが。 また夫を始めゲシュタポの人達はユダヤ人の事を『人』としてでなく。 『物』として扱っている感覚が言葉の節々に感じられる。 だから、しいてあまり深く考えないようにしているのか。 日頃の言動がやはり、どこかオカシイ⁉️。 婦人(サンドラ·ヒュー)はユダヤ人から巻き上げたコートを“どこかで買ってきた”かのように、鏡の前でまとい。 そのコートのポケットに入っていた口紅を抵抗もなく唇に差す。 長男息子は夜な夜な、ベッドで同じく。 ユダヤ人の金歯を気持ち悪く感ぜず、オモチャの如く、もて遊ぶ。 黒い愛犬は妻役のサンドラ·ヒューの飼い犬らしいが。 撮影中、あえて犬の鳴き声効果音を聞かせ。フラフラ落ち着きない風にしたそう。 また夫と妻のキスやベッドシーンはないが。 ユダヤ人の別の女と、この父親·夫は寝た後に。 自分の陰部を丁寧に拭き取ったりする描写がある。 つまり日頃の隣接する“異常な環境”生活は。 人間の正常な理性ある思考を麻痺させて、普通の人から見たらずいぶんオカシナな言動をしている事に。 つまり自分の見たい情報、持ちたい思考だけに囲まれると。 反対意見を持とうとする理念を膠着させ、オカシナ行動をとる事に。 それを現代で言えば、SNS情報の偏りに異を感ぜず。 そのメディアを主体的に読み解く能力を麻痺させる(フィルターバブル現象)のだ。 この映画の80年前の歴史を今の世の中に、あえて問う意義はそこにあるのかも知れない。 映画の開巻、黒い画面が数分長く続く所は。 この異様な物語の世界に、現実の観客の心象を飛翔させる為に必要な空間·時間。 と設けられたのだと受けとった。 監督は音楽のミカ·レヴィに何曲も映画の為に用意させたが。 結局使用したのは、1·2曲だけで。その代わりに。 始終、家庭日常の背景音に。 あの焼却炉稼働音らしき重低音がずっと低く響き不安をあおり。 更に時おり女子供の叫び音声が交わる恐怖感を持たせた。 調査資料によると。 あの時代に隣接家庭の為に。 日中その収容所関連の“音消し”に。 わざわざバイクを走らす音響仕事だけの人員を雇ったという話もある。 また数回サーモグラフィックカメラ撮影の映像が劇中入る場面。 ❲少女が近くから自転車で通い、収容所の人達の為にリンゴ等を作業場近くに置いていく❳様子。 これも証言実話で、12歳の少女の実際やった善行らしい。 何故サーモグラフィ映像かというと。 《人間の活きるエネルギー熱の具象化表現》の為だとか。 映画の中で唯一、人間的感情を持って行動した少女という事だからである。 さてここからは、映画では描かれなかった。 この一家のその後の情報を調べたので記す。 何故なら、ドイツ敗戦の報を聴いたポーランドやチェコスロバキアの人達が。 あの時、〈ドイツ人民への報復行為をした〉の実態が最近になって明るみになったからである。 私はNHKの❲映像の世紀バタフライ·エフェクト❳という番組でその辺の知らざれる虐待の連鎖の歴史を初めて知った。 だからこの映画で描かれた一家の戦後が気になったのである。 まずあの父親アウシュヴィッツ収容所所長ルドリフ·へフ。 彼は敗戦前、指令もあり、単身早目にドイツ海兵になりすまし。 一時は英国軍の捕虜から、事件を起こし。 刑務所に入り恩赦で釈放というくだりがある。 そしてその後、農民生活の中、本人実態を暴かれ逮捕。46年裁判の結果。 47年4月に絞首刑になった。 今回その時の写真も見た。 またそれ以外の身内はというと。 母親と息子、娘はバラバラで。出生がアウシュヴィッツだから、まともな仕事にも付けず。 あんなに贅沢生活からは。 戦後は奈落の底へ。 それでも金髪の綺麗な次女(戦中は夜中に徘徊)はスペインでモデルから米国人と結婚。 渡米し、離婚後、ユダヤ人と再婚80過ぎまで生存した記録。ただ癌を患い自身の息子に看取られた。 あの彼女らの母親もこの前に彼女(次女)を頼って渡米して来て一緒に暮らした後に70年代に死去した。 その他の子供らについてはあまりいい情報はないらしい。 特に家族だけれど、戦犯として裁かれる事もなく。 また知り合う人にわりあい恵まれ。 個人的にあの歴史は常に反省する意識なれど卑屈に落ちいる事なく。 『生きなさい』と励まされたそうだ。