코멘트
星ゆたか

星ゆたか

4 years ago

4.5


content

태양은 가득히

영화 ・ 1960

평균 3.6

2022.2 2025.2.16追記と2024.8.19のコメント下にあり… フランス・ヌーヴェル・ヴァーグ(『いとこ同志』『大人は判ってくれない』『勝手にしやがれ』)と言われた映画が、1960年に続々に公開された年に、彼らの前の世代の巨匠の一人であるルネ・クレマン監督が発表したサスペンス映画の傑作である。 撮影に、アンリ・ドカエ。音楽に、このころ、これまた絶好調の、ニーノ・ロータ。そして出演者に、この作品で国際スターに大ブレークした、アラン・ドロンを始め、演技賞評価の、モーリス・ロネ、またフレッシュな魅力の、マリ・ラフォレなど。 物語は、貧乏青年が金持ち息子の知人と親しくなり、嫉妬し殺してしまい、あげくのはてに、その友人になりすまし、一時の幸せを得るが、それもつかの間のことで、完全犯罪にはならず、という結末になるという内容である。 公開後しばらくたっての1975年頃、映画評論家の淀川長治さんが、この中の二人は、同性愛の関係にあるという解釈(もっとも淀川さん自身はもっと早くからそういう見方)をだし、名作映画の新たな見方を考えさせることになる。しかしさらに時を経て、1999年のアンソニー・ミンゲラ監督、マット・デイロン、シュード・ロー、出演の作品では、その内容の同性愛傾向は明らかで、淀川さんの解釈は、大変先見性のある見方だったといえよう。 特に淀川さんの指摘で印象的な所。 あの二人は、片方が貧乏で金持ちの息子の物が欲しくてしょうがない。一方金持ちの方は飽きてしまっている。憧れと可愛いさで、お互い無いものねだりで親密さを深める。二人でヨットで遊びに行って帰ってくる所。舟から降りる時、金持ち・貧乏という主従関係出なく、友人の乗りで、並んで仲良く降りてくる。それを見ていたおじいさんが、“あの二人可愛いね”というのだそうだ。 そして最後のドロン青年が、殺してしまった死体が、スクリューに絡まって上ってくる結末を迎える所。あの場面でも、不安の電話か?と一瞬彼は表情を曇らせた後、少し安心し、ワイングラスを持つ。その手に、死体の手が続くという編集で、“お前もすぐ俺の所に来るよ、”という暗示があるという。(あれは後追い心中なのだそうだ。) またさらに、殺し方についての指摘。金持ちの友人の方は、銅像のようなもので殺すが、ロネの金持ちの方は、ナイフで殺す。これも刃物で殺すのは、ラブシーンだという。“殺せるか、殺してごらん”という‥‥‥そういう見方もありか?  ともかく映画は、かつて色々な見方をされ、これからも新たな発見があるかもしれない。名画ならではの、(時間をえての)再度鑑賞の楽しみです。 2025.2.15BSTV10[館ひろしシネマラウンジ]再鑑賞💫 映画評論家伊藤さとりさんと一緒に映画の見所や解説を。 本編ノーカット放送終了後にゆったり語りあってくれるお楽しみ付きが何より嬉しい。 これによって現在、個人で自由にいつでも名作映画を見られる状況に。 プラス解説の“今”の付加価値が付き。 それが再び今が過去になった時に、更にこのお二人の解説が歴史に加わる意義が生じる。 さてもう何回も、見ている古典的名作(フランス)であるが。 今回吹き替えで見たので。 昔、淀川長治さん解説のTV日曜洋画劇場を見たような気分に。 しかも今回の放送はスターチャンネル(有料)が独自に2016年に完全版用に作られた吹き替え作品であるらしい。 大抵の地上波民放放送の仮に2時間枠だとするとCMが途中何回も入るので正味96分位にカットされてしまう。 だから本当は吹き替えでなくてアラン·ドロンの最高傑作と言われる本作は、字幕で見たかった。 まぁ個人的には字幕盤も所有しているからイイのだけれど。 あの特に本作でアラン·ドロンが殺してしまった金持ち息子のモーリス·ロネの声色も筆記字体ともに『マネしている』様子をやっぱり“感じたい”からだ。 ただノーカットの良さは今回。 イタリアの観光名所をロケしながら俳優の芝居が楽しめる良さがある。 「盗み録り」アラン·ドロンの最初の出世作だから、まだ観衆の映画撮影の協力もそれなりに得やすかったかも知れないが。 さすが戦後(45~55)のフレンチネオリアリズムの傑作。 [鉄路の闘い][海の牙][鉄格子の彼方][禁じられた遊び][居酒屋]等を作ってきたルネ·クレマン監督らしく。 ドキュメンタリー作風の中の。 細やかな人の動きや反応がしっかりあった上での。 物語展開が自然に成立している。 物語の導入部分のドロンのシャツやスラックスの貧弱な汚れ具合があって。 金持ち息子を装おう中盤以降が活きてくる。 その始めに鏡の前で、金持ち息子の靴·上着·ネクタイを身に付け声色を真似してウットリして。 金持ち息子に気色悪がれる描写もきちんとあるから。 しかも彼の虚言性(ありもしなかった昔話を懐かしそうに話すおかしな野郎)を日常の刺激に面白がっている。 その後の貧乏青年の金持ち息子の殺害~身代わりの展開の下地になりドラマに深みを与えている。 また今回館さんが指摘した見せ場の1つ。 終盤アラン·ドロンがモーリス·ロネの遺産をマリ·ラホォレに与えておいて。 『僕はアメリカに帰る、お別れに来た』と言って。 当然『帰らないで』と彼女が言うだろうと芝居をかけ。 その反応を待つ所のアラン·ドロンの目の芝居。 この映画のアンリ·ドカエとのカメラ視点(表情のアップに俳優の若さが映える)もあっぱれだ。 撮影と言えば。 あの海上の殺人シーンの荒れた波とヨットの揺れ具合の緊張感も。 例えばジョン·フォード監督の[駅馬車]での平原をインディアンと疾走する馬車の。 “動く映画”の躍動感と同じドラマツルギーがある。 そういった海上の“動”の芝居の絵と平行し。 背景の船の“静”の配置が、映画の深読みに視点を与えてる。 『何故あそこに船が?』と。 殺人展開の所では、あれは欧州の言い伝えで物語の将来を示唆すると。 また終盤の海上の停止してる船は淀川長治さんによると。 あれは死んだ金持ち息子の幽霊で。 『お前もすぐ俺の所へ来るよ』と言う暗示の為の配置だとなる。 この映画は公開当時。 フランスのヌーヴェルバーグ旋風(新しい映画人)。 作者の視線を含んだ人間の内省的映画作りに対して。 設定(金持ち息子に嫉妬した貧乏青年)を存分にいかした活劇を。 外から見る面白さで、半ばドキュメンタリータッチで描き進めた。 『どうだ私達の映画は君たちのヌーヴェルバーグとは違うだろう』と言っているかのごとく。 またあのニーノ·ロータの甘美な主旋律を編曲しながら繰り返す手法もあの時代の映画の魅力だ。