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Till

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4 years ago

3.0


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김복남 살인사건의 전말

영화 ・ 2010

평균 3.3

キム・ギドクの助監督としても活動していたチャン・チョルス監督の長編デビュー作品。 ソウルで銀行員として働くへウォンは会社でトラブルを起こし、休暇を取ることになる。気晴らしに自身が生まれ育った孤島に帰省し、そこで幼馴染みであるボンナムと再会。へウォンの前では気丈に振る舞うボンナムだったが、実は夫や村人から酷い扱いを受けており…。 ボンナムが暮らす孤島は男性至上主義的な思想がまかり通った社会。彼女は夫から暴力を受け、義弟から性欲のはけ口にされるが、義母や叔母はその事態を当たり前のことのように捉える。この過程がR18+指定を受けるほど「生々しく」描かれるため、とにかく胸糞が悪い。後半では一転して凄絶な「復讐劇」が始まるものの、そこもあまり爽快感があるものではないので、ホントに生半可な気持ちで手をつけちゃダメなタイプのやつ。 そもそも本作はよくあるリベンジ映画とは少し違ったアプローチをしている。それが、「男性から酷い仕打ちを受ける被害者」であるボンナムが主人公ではなく、「その一部始終を傍観し続ける」へウォンを主人公として位置づけているという点である。つまり、「男性中心社会で抑圧される女性」が主題ではなく、「傍観者でいることの罪」そしてそこから「脱却することの勇気」がメインテーマなのである。これこそが他のリベンジ映画と一線を画す部分なのだが、残念ながらこれは成功しているとは思えない。確かに言いたいことはわかるけど、やはり「何もしない傍観者」の主人公にはただただイライラするだけで全く感情移入ができない。「主人公」と名乗るからにはそれなりにヒロイックな活躍をしてくれないと映画的にはつまらないものである。 ただ、一応最後にへウォンは「ある行動」をとり、このテーマに対して彼女なりのアンサーを提示する。しかし、これは本当に正解なのだろうか。「加害者」「被害者」そして「第三者」がいたとき、「第三者」は「被害者」を助ける努力はするべきだと思うが、その「第三者」が「被害者」になってしまうリスクを背負ってまで行動を起こす必要はあるのだろうか。例えば学校でいじめが起きたとき、「加害者」「被害者」そしてそれを目撃した「第三者」がいたとする。このとき、「第三者」が無理に「被害者」を庇った場合、「第三者」は「加害者」に目をつけられ「被害者」になってしまう可能性は高いだろう。へウォンの最後の行動はまさにこういうことなのである。しかし、これってかなりの極論だと思う。いじめの場合、「第三者」は「被害者」になることのないある程度力を持った「第三者」である「先生」に(加害者にバレないように)報告して仲裁してもらうのが最善だろう。確かに「自分には関係ない」として何も行動を起こさないのは罪かもしれない。でも「自己犠牲までをして他人を助けろ」というのもまた一方的な論理だろう。「見て見ぬふりをするな」という本作からのメッセージは理解できるが、その伝え方に少々違和感を覚えてしまった。