코멘트
ホン・サンス監督(1961年10月ソウル出身)本作はベルリン映画祭で脚本賞を受賞している。 今まで「よく知りもしないくせに」(2009)「ハハハ」(2010)「次の朝は他人」(2011)「それから」(2017)と見てきた中では一番短い作品。 そしてこれまで大抵は、映画監督の男の主人公が、後輩と酒を飲んでは他愛もない会話を繰り返し、女性を口説いたりする話が多かった。だが今回はそのしょうがない男性は最低限にして、女性同士の会話の多い物語になった。 この作品は、30代ヒロイン・ガミが結婚生活、五年間の毎日一緒の夫が出張で留守のため、彼と離れる数日間に、昔の女の先輩と同窓生を訪ねる物語だ。 行く先ざきで『愛する人とはいつも一緒。それが彼の望みだから』と、今の自分の幸せ度を確認するかのように語る。でも本当に彼を愛しているかどうかは分からないという。少しずつ愛の実感を重ねてる状態なのだと。 この映画の最大の特徴は、描写の省略だ。人間の、空間の、省略である。だから作品時間の尺すうも短い。 夫婦円満の主・あるじの姿は一切ない。 今のご時世ならスマホの映像を見せるようなことがあっても不思議ではない。 それは最初に訪ねた、バツイチで面倒見のいい先輩ヨンスンも同じ。どんな亭主だったかは分からない。気に入っているという室内デザインの部屋もあまり見せない。 彼女は同じマンションに住む、若い娘の就活に心を寄せ力づけてやったりする。ここでは、深夜煙草を吸いに外に出ているらしいこの娘を心配し、励ますヨンスンの姿を防犯カメラで、泊めてもらってなかなか眠れないガミが見守る。 またルームシェアの焼き肉料理の上手な若い彼女には、本当はベジタリアンを目指してると話して、折り合いをつけて暮らしている。だからガミさんが来て焼き肉を振る舞えるのは、大変嬉しいと。またくる時は何か食べたいものがあったら、知らせてほしいとまでいう。日頃料理力を発揮できない小さな不満があるみたい。 ファーストシーンで描かれる鶏の、毎朝鳴かれる声に悩まされてると言っても、その隣家の人達も一切登場しない。 それよりここでは、新しく前の家に引っ越してきた男性が、『お宅で餌をやっている“泥棒猫”のせいで、神経質な妻が表にも出られないので餌をやらないでほしい』と言ってくる。その対応にあたった玄関先での、ルームシェアの女性との会話が面白い。 お互い冷静に穏やかに語っているが、『死なせたくないから、これからも毎日餌はやる』とこちらの主張は譲らない。相手を尊重しているような口ぶりだが、自分たちの考えが正しいんだから別に改める必要がある?って感じだ。最後までこの男性も紳士的対応だが、映画では背後からのカメラでこの人の顔・表情は見せない。 仕方ないので男性は『自治会ありますよね』と去ってゆく。激情型の多い韓国人の印象からは、その対応ぶりが一線をひく。 家の中で飼う猫だけに餌をとか、こんな場合自治会それとも、保険所か市役所に連絡か?。 見ているうちに自分もこの人達の会話に参加しているような気分になってくる。確かに野良猫に餌をやる人を巡ってのトラブルは日本にもあるからね。 そしてこの後。“静かな論争”が終わり人がいなくなった建物の奥、その話題の猫😺が大あくびしているショットに、ニヤリとさせられた。 二番目の先輩には、彼女に似合う洋服を手土産に持参し喜ばれる。 ここでも大家に5億ウォンの保証金を、1億安くしてもらってラッキーだったという自慢の室内も、ほとんど“見せず”二人の長い会話が続く。それは料理中なのを忘れ、鍋を焦がすほどカメラ据え置きのワンシーンで見せる。 上階の妻と別居中の男性に、ある晩飲み屋で会い、帰り道が最後まで一緒で、その時初めて同じマンションの上下階に住んでいることを知り、共に大笑いした話を嬉しそうにする。以来ほのかな感情を抱いているらしい。 ただここでの強烈だったのは、一度だけ酔った流れで寝た若い詩人の青年に、電話やストーカーまがいに訪ねられて困っているという展開。すがるように必死に、とにかく話だけさせてほしいという青年。これにはまったく話しあいの余地はないという冷たい素振りであたる彼女。 ちょうどこの時居合わせたガミは、室内のインターフォンの映像で、入り口先の先輩と青年の様子を見つめる。これは夜中のヨンスンを防犯カメラで見るのと同じ感覚。まっ、来訪者のガミにとっては、初めての第三者の関係の相手なのだから、この“覗き見”のようなスタンスは道理にあっている。 三番目に訪ねたウジンとは、過去に何か訳ありの関係があった様子。 彼女の旦那はチョン先生と呼ばれる有名人で、その日もミニシアターのあるビルの地下ルームで、質問討論会を実施中。昔学生だった頃、二人はこの男性を巡って恋愛主導権を取り合ったらしい。ウジンが謝りたかったと手を重ねる。ウジンはせっかく、友より彼を奪いとったにも関わらず、現在はさほど幸せな実感はないらしい。 昔の“彼女”が来ているらしいと聞き、表に煙草を吸いに出た先生、彼女との会話もまるで期待外れ。 毎日夫と幸せと言っていたヒロインも、やはり恨み感情でも残っているのか、テレビインタビューなどの貴方(かつて自分が尊愛した)は、少し喋り過ぎなどと批判の言葉を残し、彼の前からぎこちなく去ってゆく。男も妻との関係に少し不満を感じている日常に、昔愛を感じていた彼女の言動に期待するものがあったのかもしれない。軽い失望が見てとれる。 ホン・サンス監督の映画は、国内外でも高い評価はされているが、彼の映画が“ヒット”したことは一度もないという。1000万人以上の観客を集める作品が頻出しているなか、最も観客を集めた作品でも30万人弱らしい。最近の平均観客動員数は3万5000人だという。多分あまりにも身近な題材のそのなかで、互いにウダウダと嘆いていたり、微妙な心理状態を探り合うような会話の多い作品は、正直面倒くさいのかもしれない。普段の日常を忘れさせてほしいのが映画なのに。これじゃますますストレスがたまる? また最後に解決案を提示するでもなく、観客に結論を放り投げているような作風も、どう理解していいか分からないからなのかな? またそういった所が逆にクセになる人も、いるんでしようね。 そんな所で、男女の恋愛を会話形式で描くその独創的なスタイルから、この監督は“韓国のゴダール” “エリック・ロメールの弟子”などと称され絶賛されてもいます。
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