
dreamer

벌거벗은 섬
평균 3.6
"日本の映画製作の常識を完全に打ち破り、革命的な製作方法で作られた日本映画史の一ページに残る秀作 「裸の島」" 1961年のモスクワ国際映画祭でグランプリを受賞した新藤兼人監督の「裸の島」は、セリフが一切ない"映画詩"というだけではなく、それまでの日本の映画製作の常識を完全に打ち破った、革命的な製作方法で作られた事で、日本映画史の一ページに残り得る、見事な秀作だと思います。 瀬戸内海に浮かぶ、お椀を伏せたような小さな島。 農夫の千太(殿山泰司)と妻トヨ(乙羽信子)、子供二人の一家が住み着き、麦と芋を植えて暮らしています。 島には井戸がないので、この夫婦は毎日何回も船を漕いで、隣の島へ水を汲みに行き、桶に汲んだ水を天秤棒で担いでは、「耕して天に至る」段々畑の急な坂を登り降りして、水を作物にかけるのです。 毎日が苛酷な労働の繰り返し----。楽しみは子供を隣の島の学校へ通わせるための送迎と、夕方にドラム缶の風呂を沸かして一日の汗を流して疲れを癒す事。 生活の中で変わった事といったら、遠くの島で花火が上がるのを眺める事と秋に収穫を隣の島の地主の所へ運んで行く事ぐらいです。とにかく毎日が美しい自然の中での闘い----。 "事件"といえるようなのは、子供が釣った鯛を売って一家でカレーライスを食べたのと、長男が病気になり医者も呼べずに急死してしまう事。 悲嘆にくれる妻が、桶をひっくり返し、作物を抜いて泣き崩れます。 それを黙って見つめていた夫は、歯を食いしばって乾いた大地に黙々と水をやります----。 人間が"生きる"という事の意味を考えさせられます。 作曲家・林光による美しい交響詩風の音楽と、櫓を漕ぐ音、天秤棒のきしむ音、雨、風、波などの若干の効果音と、ただ一度、妻の泣き声が入るだけで、あとは一切セリフのない映画なのです。 淡々と黒田清己カメラマンの映像だけが展開するだけなのです----。 新藤兼人監督は、セリフをなくした理由について、「無声映画への郷愁や奇をてらったのではない。映像だけで全てを描いてみようという試みだった」と、映画の製作意図として語っています。 この映画は、当時の一般的な映画の製作費用の約1/10の費用で製作されたと言われていて、この映画に携わったスタッフは13人で、出演俳優は乙羽信子と殿山泰司の二人だけで、子供は近くの島の子を起用したそうです。 とにかく、世界最小のスタッフで作られた劇映画なのです。 理由は、この映画が完全自主製作で、"製作する潤沢なお金"がなかったからです。 当時の1960年頃の独立プロは、映画を作れば赤字で、借金が増えるばかりで、新藤兼人の"近代映協"も存続の危機にあり、「解散記念にしよう」と取り組んだのが、この「裸の島」だったのです。 新藤兼人が脚本を書き、金が出来ると瀬戸内海へ出かけ、映画の舞台・宿弥島の隣の佐木島でスタッフ全員が合宿し、製作主任がコックを兼ね、一つ釜の飯を食べて撮影に打ち込んだそうです。 映画界で有名な、"新藤方式"と呼ばれる集団創造の方法が、この映画で生まれたのです。 この映画の完成した翌年のモスクワ国際映画祭で、最高賞のグランプリを受賞した時も、13人のスタッフとノー・メイクで演じた乙羽信子と殿山泰司が共に現役の俳優である事が信じてもらえなかったというエピソードが残っています。 そして、この映画はグランプリ受賞で、世界64カ国に売れ、"近代映協"は借金を返して、次回作の「人間」の製作費を稼ぎ、その後も独立プロとして映画製作を続けていくようになるのです。