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【種族を超えた“水中愛”の美しさ】 幾度の困難や壁、そして種族を超えたラブストーリーに見える映画の芯の太さ。2人が辿り着く水中のシーンが、止まった時空を泳ぐようでとにかく美しい。“彼”が“彼”である事を忘れる。 ◆ 声を失くした孤独なイライザと、遠い海から連れて来られた“彼”。冷戦下のアメリカで、種族を超えた恋に落ちる二人だが、国家の行方を握る“彼”に危険が迫る─ ◆ 第90回アカデミー賞作品賞受賞作品。日本人初のアカデミーメイクアップ&ヘアスタイリング賞受賞の辻一弘が“彼”の目の製作にあたっている。監督は『パンズ・ラビリンス』のギレルモ・デル・トロ。出演は『パディントン』シリーズのサリー・ホーキンス、『ドリーム』のオクタヴィア・スペンサー、『キングコング:髑髏島の巨神』のリチャード・ジェンキンス、『ノクターナル・アニマルズ』のマイケル・シャノンなどなど。 そして、“彼”に扮するのは、デル・トロ監督の『ヘルボーイ』でエイブ・サピエンを演じたダグ・ジョーンズ。 音楽は『グランド・ブダペスト・ホテル』アレクサンドル・デスプラ。 ◆ “彼”との恋に落ちていく様が、時に穏やかに時に荒々しく、ありのままに描かれている。こと、彼と水中で抱き合うシーンは、止まった時空の中での2人だけの世界のような、この映画ならではの美しさ。彼が彼である事を忘れる。 『シザー・ハンズ』や『美女と野獣』、種族を超えたラブストーリーはいくつもある中、他の映画と一線を画すのは、イライザが“彼”と同じく、言葉という能力を持たない事。でもだからこそ分かり合えるし、種族を越えてお互いのありのままを受け入れる事が出来る。この映画はただのラブストーリーではなく、そんな“映画の芯”がしっかりしていると思う。 この映画で多用されていたのが、その“ありのまま”の描写。イライザや他の登場人物の性の描写も露骨だし、差別観念もちらほら。加えてイライザもジェンキンスも、そして当然彼も“不完全”な訳で、そのありのままさを互いに受け入れていくイライザ達が辿り着くエンドに、監督が描きたかったものがあるのでは、そんな気がした。 なにげに刺さったのは、イライザが“彼”を助けたいとジャイルズを説得するシーン。まっすぐに手話でまくしたてる表情の力強さ、「彼を見捨てたら私達は人間じゃない」のセリフ。ありのままを受け入れられず見殺しにするのはそれこそ人間じゃない、先程の映画の芯そのもののシーンだと思った。 音楽もとても良くて、散々かかるオールディーズや、途中挿入される唐突なミュージカルも含め笑、どれも映画の雰囲気の良さをしっかり作り上げていたと思います。 ◆以下自分の解釈つらつら(ネタバレ長文につき離脱おススメ)◆ “彼”は神なのか、彼という存在が、何を象徴していたのか。おそらく自分は、その姿・形にとらわれず、信じて受け入れる事の尊さ、その概念の形ではないかと考えます。物語は基本的にはシンプルな勧善懲悪。イライザはもちろん、ゼルダ(オクタビア・スペンサー)やジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)が始めは戸惑いながらも、時には自分が傷つけられながらも、イライザと彼を受け入れ、信じていく。そうする事で、イライザが幸せに導かれていく、そんな優しさに溢れる幸せの図式に。そして悪は罰せられていく。彼を穏やかに受け入れたジャイルズにも毛が生えるというサプライズもあった訳で笑、“彼”とは、ありのままを受け入れる事を良しとする、いわば神的な存在だったと思います。 最終的にイライザはどうなったのか?直接的に描かれてはいなかったけど、自分の解釈としては“彼”と幸せに暮らした…というところだと思う。映画冒頭のシーンには、水の中に漂う人家の中に1人、死んでいるような、もしくは寝ているような女性が。あれがイライザでは。途中挿入されたイライザと“彼”のミュージカルにあった「あなたの行くところへ何処へでもついて行きたい」の歌詞。それがラストのシーンで“彼”の特殊能力により、イライザが息を1つ吐き、別の形として蘇り、水中愛として成就した。そういうところではないでしょうか。 いや〜過去最長の文書いてしまった。最後まで読んでくださった方、お時間取らせて失礼しました!
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