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直人

直人

6 years ago

5.0


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폼포코 너구리 대작전

영화 ・ 1994

평균 3.3

高畑勲の映画は怖い 彼の作品には観客から特定の感情を引き出そうという意思が無い 今作で言えばゴンタ達が撃ち殺される場面でも、変身出来ないたぬき達が宝船に乗って自死を選ぶ場面でも、大仰な劇伴もわざとらしいカメラワークも無く淡々と物語が続いていくだけだ つまり「どう思いますか?」と我々は彼に聞かれているわけである たぬき達がトラックを罠にハメて3人殺した時、彼らは大喜びで宴を開始する あえてこういう場面を挿入する事で、観客がたぬきに感情移入したりたぬきの側に立つ事を徹底的に禁止し、観客とたぬきの間に壁を作る 1番ラストのセリフもこれと同様である この作品のたぬきはどこまでも愛らしくコミカルであり、故に彼らの非情な末路を人間側から見届ける義務が我々にはある、と言いたいんだろう つまりこの映画はお金を払ってお爺ちゃんの嫌味を聞かされている様なものであり、絵面は楽しげでも子供が喜ばないのは当たり前なのだ 重ねて、高畑勲の映画は怖い 登場人物が突然こちらを向いて話しかけてくる事があるからだ もう一回、高畑勲の映画は怖い 彼の作品には生への執着が無い 清太にせよたぬき達にせよ、醜く生きるくらいならさっさと死ぬ事を選ぼうとする 極めて俯瞰的な視点で物語り自分を見せない高畑が、唯一作品に込めた彼の人間性だと思える 彼自身の最期もそうだったのだろうか?と勝手に想像してしまう今日この頃 さて映画が人を描くものなら、少なくともアニメーションの世界で高畑勲に比肩するものは存在しないであろう 彼の作品はアニメーションでありながら映画である 「動く絵」を踏み台に次なる新表現へ旅立ったウォルトディズニーがやがてテーマパークという映画を終着点としたなら、高畑勲は「動く絵」を映画とする事に人生を捧げたと言えるだろう アニメーションも実写も、ただの絵であり作り話である それを本当の事のように、我がことのように観客に感じさせる根幹とは何であろうか たぬき達が人知れぬ山奥で共謀し、山里を取り返そうと奮闘しながらやがて敗れ消えていくこの物語には、人間は画面上ほとんど出番がない しかし「我がこと」は確かにある、何故? その理由を突き詰めた時、映画家高畑勲の深淵を覗く事が出来るだろう 色々書いたがはっきり言って彼の映画は面白くはない 高性能なAIよろしく、理論上は完璧だが淡々と正しい事をチクチク言い続けてくるて感じ エゴ全開でロリコン全開の宮崎駿の方が世間的には人気なのも、そりゃそうだって感じです