코멘트
kao_matsu

kao_matsu

8 years ago

4.5


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토리노의 말

영화 ・ 2011

평균 3.5

上映から7年間、ずっと気になっていたものの、観るのを後回しにしていた作品をようやく鑑賞。1889年、イタリアのトリノの広場で鞭打たれる馬を見て、精神を病んでしまった哲学者フリードリッヒ・ニーチェの逸話に着想を得たタル・ベーラ監督が、自ら「最後の作品」と語る、終末的黙示録。荒涼とした原野に住む父と娘、そして馬の、終末までの最後の6日間の日常生活が淡々と、恐ろしいくらい克明に描かれている。 ◆ この映画の日常描写の克明さは、劇映画としては唯一無二レベル。例えば、右手が不自由な父の服や靴を娘が脱がせ、部屋着に着せ替えるシーンを、6日間それぞれワンショットでやっている。はたまた、引っ越そうと馬車の荷台に荷物を全部詰め込んで出発したものの、途中で断念して引き返し、荷台の荷物を一つひとつ降ろし終わるまで、これも全部ワンショット。朝、娘は起きると必ず井戸へ水を汲みに行くのだが、静かな部屋のドアを開けると一転して嵐が吹きすさぶ荒野となり、カメラもその後をやはりワンショットで追っていく。その力強い“静”と“騒”のダイナミズムは、ちょっと言葉にならない。食べ物は毎日ジャガイモのみ。父は左手でイモを叩きつぶし、塩をかけて食べるが、娘は手でちぎって、何もかけずに食べる。二人に言葉はない。そんな日常生活が6日間繰り返されるだけの話なのだが、まったく同じ日常の繰り返しではなく、カメラアングルや角度、テーブルに座って向き合う父娘の左右の位置など、その微細な変化と共に一日ごと生命力が漸減していき、生活の術を徐々に失っていくのだ。来たるべき終末に向けて…。 ◆ 健康で余命が長い人間にとっては、自身の身体の衰えを感じたり、死期が近づいていることを実感する機会は少ない。けれど、厳密に言えば、昨日に比べて今日のほうが、筋肉や脳機能は気付かないレベルで衰えているかもしれないし、それこそが、生まれた瞬間から死へと向かう人間の避けられない宿命だ。そこまで考えさせるこの映画は、やはり深い。いつだったか、タル・ベーラ監督のインタビュー記事を読んだことがあるが、この作品にはメタファーや寓意、逆説的要素は全くなくて、終末を生きる父娘の日常そのままを描いたと語っていた。そして一切のセンチメンタリズムを嫌い、徹底的にその要素を排除したとも。なるほど、その冷徹な世界観は見事に貫かれている。ちなみに、この映画を観始めてから即座に連想したのが、敬愛する新藤兼人監督による1960年の傑作『裸の島』だ。生活の営みをほぼセリフなしで描くところはとても似ているけれど、“生”に向けた『裸の島』と、ひたすら“死”へと向かう本作との対比が、とても興味深い。芸術云々ではなく、命の尊厳を謳う両作品には、底知れぬ深遠さと力強さがある。