코멘트
Smoke

Smoke

10 months ago

3.0


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비용의 처

영화 ・ 2009

평균 2.9

松たか子の台詞が浮いて浮いて、なぜこんなに棒読み感があるのか。自分の台詞じゃないみたいに、なぜこんなに違和感があるのか。それに対して浅野忠信は大谷を見事じぶんになっていてすごい、小栗旬よりも説得力があるなあと思いながら映画を見ていた。 そして終盤あたり。松たか子が弁護士に抱かれに行くシーンでようやく気がついた。言葉の合間を紡ぐその微妙な表情の変化で腹落ちした。 この棒読みはわざとやっていたのだ。そしたら、その繊細な演技が言いたい、この作品の深読みを解くことができた。 つまるところ彼女はじぶんさえ気づかないうちに「泥の沼のようなえげつない秘密」を抱えて生きている人なのだ。我慢して我慢して、どうしようもない亭主にも尽くし、誰にもやさしい、どんな苦境にも耐えうるまさしく理想的な妻、であるがゆえに、底無しの闇の感情なのか、それとも泥が渦巻いている空虚なこころなのか、なんとなく掴み所のない、実は相当「えぐい」人間であるということ。 だから言葉が知らず知らず「浮いて」しまうのである。何が本心なのか自分でも分かっていないから。頭ではそれが「正しい」と理解できている言葉だが、真心がない。泣き出すときさえ「彼女」がそこにいないにすら感じる。これを妻に持つならかなりストレス溜まるだろうなと思う。 対して大谷はある意味人生に全く裏表を持つことができない人間である。生き方や感情や、虚栄を張っている時でさえ、実はものすごく素直で、全て真心でしかない。だからいじらしく見えてしまうときさえあるのだ。死にたいと思ったら死んじゃうし、大声で号泣しちゃうし、お金を見たら盗んでしまう。まあどうしようもないが大きな子供なので、それで逆に彼を「信用」してしまう。 ジャイアンが優しいと急にいいやつに見えてくる論理かもしれないが、愛してるんだよ、と言われればそうなんだと思ってしまう。 これはこの夫婦の外面だけではわからない「人間性」を深く抉った話で、おおーきく見れば男女の普遍的な話とも捉えられるかもしれない。ただし私は新しい時代に生きる女なので、そんな歪な捉え方はしない。個々人に刺さるところは刺さる「性格」と「感情」の話であると思いたく、そして太宰が男や自分や妻をどう見ていたのかを知る作品の一つであったと考えたい。 自分自身の中に、ヴィヨンの妻的なところに心当たりがあって、どんなに些末な会話の中でも、頭で理解した「正しい」言葉を吐くとき、なぜか棒読みになってしまうことがあって悩んでいたこともある。優等生や親に好かれるいい子ちゃんほどそうなる人は共感してもらえるのではないだろうか。 しかし高校生の頃読んだヴィヨンの妻とは全く印象が違った。映画を見た上でまた読み返してみるのも面白い