코멘트
てる

てる

2 years ago

4.5


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미드 90

영화 ・ 2018

평균 3.6

私にはかなり突き刺さる作品だった。 私にも兄がいる。その兄との関係性を思い出させる内容だった。私は主人公の彼が考えていることが手に取るようにわかる。 兄弟がいる人、特に弟の人は激しく共感できるのではないだろうか。思春期の男の子の心情を物凄くリアルに描いた作品だった。 弟って兄に憧れるものなんだよね。だからお兄ちゃんの聞いてるCDとか読んでる漫画が気になってしょうがない。一方でお兄ちゃんは自分の物を勝手に触る弟が許せない。 スティーヴィーの兄もまた複雑な精神の持ち主だ。かつての母の不貞が許せず苦悩している。彼がグレてしまっているのは、そこが原因なのだろう。スティーヴィーを虐待していたのもその反動だろう。だけど、心根が真面目なのか、臆病なのか、外に出て悪さをするようなことはしていない。それが中途半端ではあるけど。 その中途半端さで弟にバカにされる羽目になってしまった。自分はただの内弁慶だったんだと弟の前で露呈する羽目になってしまった。そこで憧れであり、恐怖の対象だった兄が弟にバカにされてしまう。 端から見ると上も下もない。兄弟は共に愚かなのだ。だが、彼らのステータスは誰とつるんでいるかが重要なのだ。悪い奴らとつるんでいることこそが彼らのステータスなのだ。だから、彼らの世界では弟が上の立場なのだ。 大人の私からするとなんて幼くてなんて狭い世界で争っているんだろうと思う。だが、彼らの世界ではそれが全てなのだ。 悪いことをして、酷い怪我をして、酷い家庭環境ほど彼らの世界では偉いのだ。それを悪いことなんだと教えられる大人が彼らの周りには少なすぎる。 でもね。中学生とか高校生とかって悪いやつがカッコいいのよ。それがクールなのよ。大人に逆らって、大人を黙らせるやつがカッコいいのよ。自分は他のガキとは違うんだって言って精一杯背伸びしたいのよ。でもその大人をぎゃふんと言わせるすごいことってさ、悪いことしかないのよ。だってそれが一番手っ取り早くて、一番目立つんだもん。彼らのステータスの基準ってそこなのよ。 悪いことして、怪我して、女と寝る。それが彼らにとって、最高にクールなのだ。実際に日本でもヤンキー漫画って廃れない。どの世代にもある。特に80年代90年代は特に流行った。どの世界でも悪いやつがカッコいいという風潮はあるのだ。 しかし、大人になって社会に出てみるとそれはステータスにならない。 会社の面接のときに悪かった自慢をして、古傷を見せても採用されるわけがない。 おれ悪かったんすわぁ! この傷跡ヤバいすよねぇ! って宣ったところで、面接どころか酒の肴にもならやしない。 スティーヴィーは怪我をしたことで、彼らに認められることになった。スティーヴィーは舞い上がっていた。今までまともに認められたことがないのではないだろうか。その彼が憧れのヤンキーたちに認められたとあってはそうなるのも仕方ない。 自分は他のガキどもとは一線を画した特別な存在なんだ。内弁慶の中途半端な兄貴とは違うんだ。 実際にはそんなことは全くない。平々凡々な少年だ。端から見ても彼は舞い上がってる痛い子だ。 ファックシットがあの中では一番見ていて痛い。ファックシットというあだ名になんの疑問も抱いていない。それどころか面白いとすら思っている。十代で酒に溺れている。その年から酒に逃げることを覚えてしまってはどうしようもない。煙たがれていても酔っぱらっているから気になっていない。現実から目を背けてなんとか逃げようとしている。 レイが一番まともに見える。彼は面倒見がいいし、それに何より夢がある。夢があるというのは将来を見据えられていることだ。将来のビジョンが見えていると日頃の行いも変わってくる。ただ、後半でのレイのセリフにがっかりした。 スティーヴィーにお前は俺たちと違ってまともな家庭がある、お前はまともに生きろよみたいなセリフがある。そのセリフはスティーヴィーを心配する母と彼のことを想っての言葉だったのだろうが、私には違った意味にも感じ取れた。レイも自分の家庭環境に嘆き、自分の未来を見限ってしまっているのではないだろうか。さらに自分たちは所詮はクズの集まりなんだと自分たちを悲観しているようでいて、歪んだ選民思想的な優越感に浸っているのではないだろうか。 彼らは今はきっと楽しいのだ。だが、それは一時だけなのだ。彼らもやがて大人になる。その時までにどのような大人になるのかの準備をしないといけない。しかし彼らは自分たちをクズだと詰って、それを言い訳に努力することから逃げている。 レイもファックシットも他の子も家庭に某かの問題を抱えているのはわかる。だが、学校にいき、勉強し、スポーツに真剣に打ち込む、それだけで世界は変わる。様々な家庭環境の子どもたちと触れ合うことによって世界が変わる。 確かに私の知らない世界では学校にも通えないという劣悪な環境で生きている子どももいるだろう。だが、それも本人の意思次第なのだ。本人の努力次第なのだ。レイには夢がある。その夢に向かって努力し続ければいいのに。ファックシットもファックシットを卒業し、自らの名前で胸を張って生きられるようになればいいのに。 彼らのような子を見ていると、本当に教育って大事なんだなぁとつくづく思う。 私も少しだけ複雑な環境で育った。三人の子どもを育てるのはさぞ大変だったのだろう。我が家は貧乏とはいかないまでも裕福ではなかった。 中学に上がった頃から兄は素行の悪い連中とつき合うようになった。といっても小学生から付き合いのある同級生らの素行が悪くなっていったと言った方が正しい。兄の年は問題児が多く、小学生の高学年のときに学級閉鎖をおこなっていた。そんな問題児たちとつるんでいた兄は中学生からタバコを吸うようになった。私はそれが大変ショックだった。 それからその連中が我が家に度々集まるようになった。高校生になった彼らは酒を飲める集会場として、うちにたむろするようになった。 兄は彼らの取り巻きのような存在だったのだろう。都合のいいパシリとして扱われていたように思える。私はその横で彼らの武勇伝を聞いていた。 私と兄は歳が近い。なので、素行の悪い連中も幼馴染みのようなものだった。だから家に彼らが集まるのは、始めのうちはそれほど嫌ではなかった。また、その連中は学校でも有名であったから、彼らが家に来ることに対して、同級生に優越感があったのは確かだ。 この作品を観ているとあのときの自分を思い出す。 バカだったなぁ。なんて幼かったのだろう。兄貴はこんな気持ちだったのかなぁ。様々な想いに駆られる。 アメリカの低所得層のリアルな生活を描いてるのだろう。アメリカも日本もそう大きくは変わらない。どの世代も同じような悩みを抱えている。 特に90年代は私がまさに子どものときだった。それがまた懐かしさを覚えるのかもしれない。国が違えど、共通するものはあるんだなぁと感じた。