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dreamer

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4 years ago

4.0


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아미스타드

영화 ・ 1997

평균 3.4

奴隷として拉致されたアフリカ人がどのように大西洋を船で運ばれていったのか、その様子を書いたものを、かつて本で読んだことがある。 船底にぎっしりと詰め込まれ、寝るにもイワシのように横になって、身動きするスペースもない。 食料も水も乏しく、暑さと不衛生極まりない船倉で、アメリカ大陸に辿り着く前に、半数近くが死んだという。 奴隷商人たちには、弱いものは死んでも構わない、という自然淘汰みたいな感覚があったのだろうか。 大勢死んでも、生き残ったものだけでもかなりの収益が上り、商売になったということなのだろうか。 こんなことが何百年も続いたのだと思うと、身震いするほど恐ろしい。 このスティーヴン・スピルバーグ監督の「アミスタッド」は、実話に基づいた映画化作品だ。 黒人奴隷たちの自由を勝ち取るために奔走した、弁護士ボールドウィンや、元大統領のジョン・クインシー・アダムズの人道的な思想・行動に感動しつつ、 実は私は "時代の持つ限界" とでも言うようなものを強く感じてしまった。 例えば、黒人たちがどこから来たのかが、裁判の大きな焦点となる。 もし、キューバの農園生まれ、つまり、生まれながらの奴隷であるなら、彼らは初めから売買の対象であり、その船内叛乱は有罪となる。 しかし、アフリカ生まれなら、叛乱は自由人として、当然の権利の行使であり、無罪になるというのだ。 これは完全に白人の側の理屈だ。 黒人の側から言えば、どのような場所や境遇で生まれようと、本来、自由な人間であることには変わりない。 これは、奴隷の存在を前提として認めた上での裁判なのだ。 ボールドウィンもアダムズも、"奴隷制" あるいは、"奴隷という存在" を認めていたわけではなかっただろうけれど、時代はまだそこまで進んでいないのだ。 "奴隷制" そのものが否定されるには、南北戦争を経て、奴隷解放宣言がなされるまで待たなければならないのだ。 裁判という、一見公平に思える制度、しかし、当事者のアフリカ人ではなく、白人の論理で進められるそれを、"見せかけの公平" といったら言い過ぎになるだろうか。 もし、彼らの母国語を話す黒人が見つかって、通訳の役割を果たさなかったら、彼らはいったいどうなっていたのかと思う。 僥倖ともいうべき運が、逆にゾッとする思いを運んでくるのも事実だ。 しかし、それでも時代の制約の中で、拉致された黒人の人権を守るために真摯に奔走した人たちがいて、 彼らの努力が実ったという事実に大きな感動を覚える。 いつの時代にも、必ずそういう勇気ある人々がいるものだ。 そのことが、人間は信頼に足るものだという思いを与えてくれる。 シンケを演じたジャイモン・フンスゥは、いつもすごいオーラを放つ人だ。 オープニングの、船内で指を血だらけにして、鎖の釘を抜く一連のシーンは、 彼の目のアップ、立ち上がった時の下からあおった仁王像のような裸体など、圧倒的な迫力だ。 主役の弁護士ボールドウィンに扮したマシュー・マコノヒーも、「評決のとき」とは、格段の存在感を示していた。 元大統領アダムズの裁判での最終弁論が印象的だ。 黒人たちを釈放すれば、南部から分離・独立の動きが出ることを恐れる現大統領に対し、 彼は「善をなす勇気を。その結果が内戦なら受け入れよう」と毅然として言う。 「その戦いでアメリカの独立は、やっと成就するのです」と。 出番は少ないけれど、アンソニー・ホプキンスが、映画の重さをしっかりと支えていたと思う。